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ユーラシア大陸の最西端にて

お久しぶりです。

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最近は仕事が忙しく死にそうでしたが、無事GWに突入することができました☆


気付けば知らないうちに、変なコメントがいっぱいに・・・



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前回の続きです。


トマト祭りの旅。

ポルトガル2日目。

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パジャマ用の服を着て、リスボンの町にくりだしました。靴下はもちろん昨日のと同じ。(日本から3日目)

もちろんパ○ツも・・・涙

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とりあえず、服を調達すべく町をぶらぶら歩いていたら、ほとんどの店のシャッターが閉まっていました。


ヨーロッパはどこへ行っても日曜はお店がやっていません。


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こりゃしゃーない、ということで、予定を変更し、今日「ロカ岬」へ行くことにしました。


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ロカ岬とはユーラシア大陸最西端にある岬です。

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リスボンから少し離れたところにあるため、電車とバスを乗り継ぎ向いました。


駅で、ユーレイルパスを有効にしてもらい、まずはカスカイスという駅に向いました。

電車は大西洋を望む海岸沿いをひたすら走ります。車中、楽器を手にしたおっちゃんがやってきては

欧州らしい曲を奏で楽しませてくれました。


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カスカイスでいったん降り、次はシントラ行きのバスに乗り換えました。

海外でのバスの旅は電車と違い、乗り方や向う先等が不透明なため不安な面もありましたが、親切なおばちゃんの助けもあり、なんとか目的のロカ岬で途中下車。


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早速、大航海時代を感じるべく、岬の最西端へ。

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大学時代に沢木耕太郎の「深夜特急」を読んでから、ずっと行きたいと思っていたユーラシア大陸の最西端へようやくたどり着くことができました。



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天気に恵まれ快晴で、風もほとんどなく、最高でした。しかし、意外と人がいてがっかりでした。。。。


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近くの管理所みたいなところで、ユーラシア大陸最西端到達証明書を購入し、またシントラ行きのバスへ乗り込みました。


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シントラは王宮を中心として古くからの貴族やお金持ちの別荘が点在する町。

とりあえず、町中を歩きまくって散策。

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町の中心部のカフェではシントラで有名な「ケイジャータ」というお菓子にめぐり合いました。

ケイジャータはチーズを使ったお菓子で、ポルトガルの各地に様々な種類のケイジャータが存在するけれども、王族の別荘であるシントラのケイジャータはその中でも横綱級にうまいとのこと。

食べてみると、かなり甘すぎな感はありましたが疲れた体を癒してくれました。






ケイジャータで力を蓄えた後、リスボンに戻り、日曜日もやっているというリスボン最大級のショッピングセンター「ヴァスコダガマショッピングセンター」へ向いました。


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そこで、靴、パジャマ、下着、パーカー、シャンプー等、生活必需品を買いあさりました。


日本円にして3万5千円ほど購入しましたが、すべて保険会社が負担してくれたので助かりました。

(後で分かったことですが、行き先がリスボン以外の人でもでもフィン○ンド航空でヨーロッパに来た日本人で何人か荷物が届かないという人に出会いました。新婚旅行でバルセロナに着ていた夫婦も、旦那の荷物が行方不明になったということでした。かわいそう。。ちなみに、航空会社は全く荷物に関しては保証してくれませんでしたので必ず保険に入ることをお勧めします。)


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買い物後いったんユースへ戻りシャワーを浴びて再びリスボンの町へ。


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ロカ岬へ行く途中で出会った日本人の人とご飯を食べ、別れた後ハートロックカフェへ行き今回の旅の目的でもあるショットグラスをゲット!!





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そして、治安の悪いと言われている「バイロ・アルト」という地区へ向いました。


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薄暗い路地のあちこちに「Casa do Fado」(カーザ・ド・ファド)と書かれたお店が立ち並び、中からは美しい歌声が聞こえてきます。

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ファドとは日本でいう演歌みたいなものです。

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昔、リスボンの下町には船乗りや沖仲仕、売春婦や失業者、アフリカ人奴隷が多く住んでいて、こうした人たちが日々の辛い生活の中でひと時の娯楽としてファドを聴き、仲間と歌っていたのが始まりで、これが今のリスボンの観光スポット「ファドハウス」に変わっていったということです。


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なのでその歌声は哀愁を帯びていたように思えました。

店内はオレンジ色に輝くろうそくの光のみで、なかなか雰囲気も良かったです。





ファドの音色に聞き入っていると気付けば夜の1時半。。

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タクシーで帰ることも考えましたが、人通りの少なくなったバイロ・アルトの町を全力ダッシュ!!

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と思いきや、バイロ・アルトは丘の上にある地区なので、そこからはオレンジ色に輝くサン・ジョルジェ城とリスボンの夜景が広がりキレイだったので必死に写真も取りつつ帰りユースについたのは2時くらい。

ユースのみんなに気を使いながらシャワーを浴び、ぐっすりと眠りました。





ハッピーサンクスギビングデイ!!

やべ、もう2年だ。2年。N、2年だぞ。


社会人になってから時の流れが早い早い。


無事、ヨーロッパから帰国しましたが、いろいろと事件が起きましたわ。


まず、行きの飛行機で、


中部国際空港→ヘルシンキ→リスボン


リスボンに夜の8時頃に付きましたが、荷物が来ませんでした。

荷物は置き去り。そのおかげで町へ向う最終のシャトルバスにも乗れず、

結局市バスを乗り継ぎ町へ向いました。


ユースにチェックインしてバルで1時頃まで飲んで帰ったら、僕のベットが

外人に占領されていました。

あわててフロントのねーちゃんに事情を説明しても、そんなことはない、ちゃんと

あなたのベットは用意されている、と話を聞いてくれないし。まじてきとー。

なら部屋まで来いと連れてったらようやく違う部屋を用意してくれました。


その日は、石鹸もなく、水のシャワーで体を荒い、タオルもなく、その日着て

いた服で体を拭きました。


なぜかヨーロッパでサバイバル気分でした。



空港のバゲージセンターで荷物をこのホテルに届けてもらうようお願いして

あったので翌朝、もう一泊したいとお願いしにいきました。


フロントにて、


「もう一泊したいんですけど空き部屋はありますか??」


いかついにーちゃん「おっけーだよ。荷物は部屋においてあるのかい?」


「はい、おいてあります。」


にーちゃん「ベリーぐっとだ。そのまま同じ部屋で泊まってきな☆」


「ありがとう」


「あと荷物が空港から届くはずだから来たらキープしといてください」


にーちゃん「よくあることさ。大丈夫だよ☆」


で、渡された部屋の鍵は外人に占領されたはずの部屋の鍵。


マジかよ。


あわててフロントに戻り、昨晩の出来事を話す。


しかし、ホテルのデータには部屋を移った履歴がないのでにーちゃんは本当か??

と聞いてくる。

荷物はそこに置きっぱなし。


おい、俺の荷物すべて奪うつもりか。


さすがに手持ちの荷物を奪われるのはきつかったので説明すると、にーちゃんは


物分りがよかったのですぐに部屋の鍵をくれた。


助かった・・・


しかしその日も荷物は届かず・・・機内で着るために持っていた予備のTシャツを着て

ユーラシア大陸最西端の岬へと出陣していきました。


せっかくトマト祭りのために仕込んだグッズを持ってきたのに届かないのか・・・??



こうしてヨーロッパ一人旅が始まっていきました。




フロンティアスピリッツに乾杯!


旅に出ます

社会人になってから1年5ヶ月。

大好きな旅を封印していましたが、そろそろ旅立とうと思います。


旅先は、ポルトガル→スペイン、ついでにフィンランド。ヨーロッパでの一人旅は今回で2回目になります。


旅の計画は3月にふとした思い付きからでした。



「トマト祭りに参加したい!!」



トマト祭りとは、みなさんもご存知のとおり、スペインで行われる、トマトをぶつけ合うお祭りです。


日時は毎年8月の最終水曜日。朝の11時ごろから1時間の一本勝負!

何台ものトラックで運ばれてくるトマトを投げまくります。もちろん町はこの1時間で真っ赤になり、地面は踝くらいまでトマトでうまってしまうみたいです。

そしてこの日のために、世界中からお祭り好きが集まってきます。

トマト祭りが開催される「ブニョール」はバレンシアから40Kmほど西へ行った小さな町。


今回の旅はこのトマト祭りに参加できるよう行程を組みました。


まず、中部国際空港からヘルシンキへ向い、ヘルシンキからリスボンに入ります。

ポルトガルではリスボンで「ファド」を聞いてこようと思います。ファドハウスではポルトガルのワインを堪能します。

次に、今回の旅の第二の目的、ユーラシア大陸の最西端に行ってきます。大航海時代を肌で感じてきます。最西端には電車とバスを乗り継いでさらに山を越えないとたどり着けません。かなり辺鄙な場所にあるため岬で拉致される可能性があります。

もしも、僕が帰ってこなかったらここで死んだと思ってください。


次にポルトガルから寝台列車に乗りスペインへ入国。


スペインではまずトマト祭り!!僕の強肩でスペイン人を病院送りにしてきます。

本当は2人で行く計画をしていたので、2人で真っ青なハッピを着て「日本」って書かれた鉢巻をして祭りに参加しようと思ってました。一人になってしまったので若干恥ずかしいですが、せっかくなので一人でも変装しようと思います。日本の祭りの姿を世界に伝えてきます。もしもテレビに映ったらよろしくです。

そしてバレンシアでは地中海を満喫しようかと思ってます。

祭りが終わってからはバルセロナに向かい、「バルログ」に会いたいな~って思ってます。


最後に、中部国際航空からフィンランド航空で行くので、フィンランドで途中降機してきます。

フィンランドでは北欧デザインの雑貨を買いあさるつもりです。


ざっと旅はこんな感じで進めるつもりです。


前回は旅行一週間前に左手を骨折したためギブスをしたまま旅しましたが、今回は大丈夫。


がっつり旅を満喫しようと思います。


Thanksgiving Day

お久しぶりです。


もう11月ですね。紅葉がきれいな時期ですね。


でも、俺は毎日残業の嵐。公の場で書くと危険なのであんまし言えないけど、想像をはるかに超えるくらい働いてます。みんな同じなのかな??


でも、明日から3連休が取れたので、京都に行こうと思います。友達に会って、学祭行って、紅葉見て、夜景見て、買い物して、美味しいもの食べて、リフレッシュしようかな。


GW以来の京都。



そういやー、去年の今頃はアメリカ大陸横断してたなぁ。11月24日はサンクスギビングデイ。日本でいう正月。ニューヨークの大通りが歩行者天国になって、そこを満足げに歩いていた自分を思い出す。

たった一年前のことなのに、今の生活とはかけ離れたことしてたなぁ。。。最近そんなことばっか考えてしまう。


先日のドラフトで、高校時代一緒に野球をしていた先輩が、プロになることになった。俺は残業しながらなにげなーくネット見て、あっ、今日はドラフトだ!!って思って見たら見慣れた名前があった。

その瞬間めちゃめちゃテンション上がったけど、次の瞬間、自分のおかれている環境に腹が立ってきました。俺も昔はプロと隣り合わせの環境にいたんだな。。


社会人になってからなんとなーく、毎日を単純に過ごしていたような気がする。


高校時代のように、甲子園を目指したアツイ気持ちがあるわけでなく、大学時代に芽生えた上昇志向も薄れてしまった俺。

明日も仕事あるし、早く寝て疲れをとろうといつも保守的な考えになった俺。オールなんてもうできない。



今の俺、うんこ色してるかもしれん。輝きなんてないかもしれん。


でも、昔は今よりも輝いていたと思う。


明日から3日間、いろいろ思い出すだろうし、そのたびに今の環境と比較して落ち込むかも知れないけど、自分を見つめなおす良い機会にしたいと思う。



フロンティアスピリッツに乾杯。

骨折日記も終了か??でも、完治するまでにはあと4ヶ月くらいかかる・・・

久々実家に帰ったため、ネットをすることができましたので更新。 てか、昨日、骨折した手首を見てもらうために実家に帰ってきたのです。 で、結果は、 もう通院しなくていいということ。 まだ、痛みはあるけれども、どうやら手術をしなくても良いということになりました。 最初は手術しないと、骨がくっつきにくいとこって言われてて、びびってたんだけど、なんとか自力で回復できたみたいやわ~。 近況報告をしますと、配属部署は、志望していたとこと違いました。 でも、将来的にやりたい仕事につなげれる部署なので頑張るつもり。 今週の月曜から、着任して一週間。 毎日終業時間にはくたくたになる生活。帰るとマジ眠い。。。けどやまほど勉強しなければならない部署だから、頑張って帰ってからも勉強。。。 水曜、木曜あたりは、勉強しながら寝てしまうことも。。。 でも、金曜日には、ゼミの友達と名古屋で会いました。 高いゼミ名古屋支部飲み会☆ 久しぶりに5人が集まってみんなで積もり積もった話を切れることなくしゃべりまくりました。 やっぱ友達に会うとほっとするな。。 そして、やる気も出ました。 来週も頑張るぞ~!!! ブログはこれからも適当に更新していきます。

卒業 微妙に骨折日記だったりするかも

怒涛の毎日が、終わった。


2月の17日 in 白鳥高原スキー場  午後4時


ラスト2本滑って帰ろう!と決めて、アホな僕は最後だからと気持ちを高ぶらせて、ジャンプ台に突入。

無茶ができる最後だからと思ったアホな僕は、おもっきり、ボードをしならせ、ボード歴6年のなかで、1番の高さで飛行した。


アホな僕には気持ちよかった。


が、空中で逝ってしまったアホな僕は着地に失敗。


手首が相当痛かったが、いつものことだと思い込んだ、アホな僕は、その後、ラスト一本を滑りきった。

が、滑り降りるともう左手が動かなかった。

着替えをすることも不可能だったので、そのまま車に乗り込む。

車はアホな僕の愛車だ。


アホな僕は大丈夫だろうと思い込み、スキー場から片手運転で自宅へ向う。

病院はこの時間やってないので、明日行くことに決め、友達とラーメンを食べ、帰宅。


親が救急へ行けと言うので、アホな僕は用心のためと思い近くの市民病院へ行った。

救急は外科の先生だったが、診断結果は、異常なし。

痛み止めを出すかと聞かれたけども、薬に頼りたくないと考えたアホな僕は、痛み止めをもらわずに帰宅。


そして、就寝。


しようと思ったが、どんどん痛みが増して、眠れないどころか、痛すぎて死にたくなった。

必死に1時間ほど我慢したが、あまりの苦痛に、車に乗り込み、片手運転で病院へ。そして痛み止めを頂き、帰宅した。

痛み止めが効き始める1時間半、テレビを見ながら紛らわせ、5時ごろ就寝。


2月18日  引越し当日


今日は引越しのため京都に行かなければなかったけど、異常な痛みに不安を覚えた、アホな僕は朝一で整形外科へ走った。

診断の結果、チュウジョウコツ骨折。

とても珍しい部分の骨折で、整形外科の先生でも見落としそうだったらしい。しかもこの骨はくっつきが悪いので、手術の可能性が。。。


大きい病院を紹介してもらい、月曜日に診察に行った。


2月20日


朝から病院へ。

何やら大きな機械でいろいろ調べられた。

手術になれば、28日から予定しているヨーロッパ旅行へ行けなくなるので、ドキドキしたが、診察の結果、あせらず、ギプスで治療することになった。


ただし、ギプスは6週間。。。入社直前まで。。。


病院からかえって、痛い手首を気にしながら京都へ向う。


なぜなら、21日から23日まで、山口県へ旅行に行く予定だったからだ。


2月21、22、23日

本当は痛いし、迷惑かけるしで断るつもりだったが、メンバーも少ないし僕が抜けたら・・・と変な責任感を働かせて、参加。

山口県は秋芳洞。錦帯橋。

広島はお好み焼き、宮島。


アホな僕ながら、みんなに心配かけないように頑張った。


23日の深夜から、24、25、26、27日の早朝までアンキックのメンバーとスノボーへ行く予定だったけども、これは断った。めっちゃ楽しみにしてたけど、ここはぐっと我慢。

みんな、ごめんな。


その代わり、体を休めることができたし、専業主婦である、母とゆっくり過ごすことができた。


27日


午前中にギプスをきれいにして。大阪に向けて出発。


これから半月以上続くたびの始まりだ。


北京という大阪でおなじみの中華料理屋でご飯を食べるなど、日本を満喫させてもらった。

ありがとう。

また、旅行用にユニクロで1000円のジャケットを購入。16日間頼むぞ。


28日


とうとう出発の日。

最高の目覚めでいざ出発。


28日から、3月15日まで


ヨーロッパへ。


骨折した状態で海外へ行くのはかなり勇気がいったが、いい経験になるだろうと、思い切って行った。

そんなに考えた理由は、途中から一人旅をするからだ。


もちろん、海外での一人旅は初めての経験。


旅のメンバーは6人。俺と同じでPな6人。

航空券と鉄道パスしか用意せずに、あとは現地での気分で行程を考える。


6人で行動したのは3月8日まで。


ローマ(イタリア) → ピサ → フィレンツェ → ベニス → ミュンヘン(ドイツ) → フュッセン → ヴュルツブルク → アウクスブルク → パリ


短期間でかなりの移動だった。


3月8日から、15日までは一人旅。


フランス → ベルギー → オランダ → デンマーク → ドイツ → 香港


骨折してたから、寝台のベットを一番下にしてもらうなど、いろいろ頑張った。



3月15日  14時30分、無事帰国


関空で東京までの乗車券を購入。とりあえず大阪へでて、久しぶりに日本での食事を。

うん、楽しかった。

帰ってくるのを待っててくれる人がいるとうれしいな。


大阪で再乗車。

北小松へ向う。8時半ごろ着。

同志社リトリートセンターで、ゼミ合宿。


疲労と、いいちこをイッキさせられた結果、じんましんなような斑点を出し、酔いつぶれる。



3月16日

 

午前中までゼミで楽しみ、友達に近江八幡まで送ってもらって、再乗車。


米原から、新幹線に乗り換え、我が地元、岐阜羽島へ。



3月17日


大学を代表し、ある財団の終了式のため、東京へ。


岐阜羽島から再乗車。新幹線に乗ったら爆睡し、いつのまにか品川だった。



東京到着後、時間があったので浅草を観光してから、目的の会を済ませる。


ゼミの友達が東京まで来てくれたので、秋葉原で合流。



男13人でメイド喫茶へ突撃。

残念ながら、全員はいることができずに拝んで聖地を後にした。



その後、山梨の晩青草堂へ。

ここは、同志社の施設である。なんと学生は一泊800円!!!!

そう、16、17日と、高いゼミの男どもで、

「第3回の男祭りを開催した。」


夜、全員死亡。


18日


富士山を眺めながら温泉に入り、西へ車を走らせる。

途中、僕の実家に寄り、みんなでひつまぶしをいただく。

この日は実家で寝る予定だったが、レンタカーの関係で京都に行くことに。

そっこうで支度をして、いざ京都へ。


京都に到着後、同志社大学の京田辺キャンパスへ車を走らせる。

懐かしいキャンパスを見て廻り、懐かしいマンション、懐かしいジャンボなかむら、懐かしいバイト先などを巡った。


19日


午前4時ごろ帰宅して、午前7時に起きてレンタカーを返しに行った。


ヨーロッパ旅行から休みなしだったのでさすがに、倒れそうなくらいしんどかった。

返却してからまた寝て午後から大阪に向う。

梅田でABCのバイトの追いコン。


20日


1時ごろバイトの追いコンを終える。

タクシーに乗り大阪ドームへ。

タクシーの運ちゃんにぼったくられる。


午前2時~4時。

骨折しているにもかかわらず、大阪ドームで野球をする。


午前6時半ごろ京都に到着。

京都タワーの温泉に入り、1時間ほどの仮眠を取ってから、大阪へ。


大阪をお散歩。楽しきひと時。


夕方、京都に戻り、ゼミの友達と、京都をお散歩。

ゼミ長に秘密で花束を渡すぞ計画のため、花の購入先を探した。


ゼミ長家泊


21日  卒業式


ゼミ長にばれないよう、早めに家を出て、花を予約。

タクシーで同志社大学へ。

卒業式、卒業証書授与を終えて、商学部樹徳会へ。

成績優秀者として表彰される。

名前入りの腕時計をゲット!


ゼミの謝恩会では、ゼミ長を祝ってやったぜ。へへ。

2次会、3次会へと続き、寂しいながら、夜が明けてゼミ長の家へ。

夕方まで就寝。


22日


夕方から、学部の友達と遊ぶ。

ちょっと高めの焼肉を食べ、幸せになった。

温泉にも行った。


23日

昼に、ゼミの友達と大学で最後の学食を食べ、京都へ。

京都駅で、彼女とお茶して、鴨川を歩いた。

その後、アンキックの卒業パーティー

2次会、3次会へと続き、朝、新幹線で岐阜に帰る。







24日~28日


今までの忙しさがうそのように、引きこもった。

大学生活が、あまりにも楽しかったし、多くの思い出があって、それがなくなることに、寂しさを感じ、そして、なんとなく気分が落ち込んだ。


気持ちの切り替えが大切だと、高校時代言っていた僕だけども、この4日間は別。

最高の4年間だったために、切り替えには4日かかった。


29日


京都へ。

大学へ行ってから、京都で花見。

まだまだつぼみが多かったけど、学生最後のデートを京都でできて良かった。

ひさごで親子丼を食べ、清水、高台寺付近を散歩した。


卒業したってこともあり、京都を歩いていると、まるで、僕の故郷のような感覚に包まれた。


30日


地元の友達と久々に飲んで、麻雀した。

やっぱ、こいつら俺のこと知ってやがるわ。


31日


ようやくギプスを外した。といっても、ギプスを半分に切って取り外し可能にしただけで、現在もつけている。。。

髪を切った。

スーツを買った。


1日へのカウントダウンをした☆☆




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とりあえず、個人情報をぶちまけましたが、最後の大学生活をおもっきり満喫したって事を、書きたかった。

が、左手不自由なため、適当になってしまったよ。

はい、自己満足。




今はもう1日。

とうとう僕も社会人だ。





やるしかねぇ!!!!



やるからには、全力だ。

やるからには、本気だ。


よーーーーーーい、     ドン   !!!


ゴールは人それぞれだけども、死んで棺桶に入るとき、幸せな人生だったと心から言える人生をこれから、自分で作っていく。


みんなも頑張ろうな!!



アメリカ大陸横断日記9(最終章) 横断達成

とうとう引越しの準備を終えて岐阜に帰りました。引越しの準備を3日前まで余裕ぶっこいてたら、予想以上に整理に時間がかかり、徹夜でやることになってしまった。。。

これから引越しする人は、余裕こかないほうがいいですよ。




では、アメリカ大陸横断日記へ。


フェニックスの朝、どうやら僕たちはそうとう疲れていたらしく、9時半すぎ位に起床した。今日泊まったモーテルは朝食が付いていたので、がっつりいただこうと食堂らしき部屋に向うが、どうやら朝食の時間が終わってしまったみたいだった。

マジかよ!!ってくやしそうな顔をしていると、お情けでシリアルだけ食べさせてくれた。せっかく高いお金を払ったのに肝心の朝食が食べれなくて後悔しながらも、荷物の整理をして出発する。


で、とりあえず、インターステイト10に乗るため、フェニックスの市街地へ向う。

フェニックスは、高いやしの木が道の両サイドに並び、南国にきた間隔になった。そして、僕たちはここぞとばかりに、バックトゥーザヒューチャーの「The Power Of Love」をリピートで流しまくった。何度聞いてもこの曲がフェニックスに合っていた。


また、図書館があったので、昨日できなかった、デジカメの画像を取り込む作業をしに行った。フェニックスの図書館はなかなか近代的。作りも新しそうでこれなら、焼けると思ったけれども、なぜかCDに焼くことができない。なんでだ。それに日本語も使えなかったから結局なにもできなかった。

カメラの保存可能用量も少なくなってきたので、なんとか、写真を焼きたかったため、他の施設でできないかと聞くと、図書館のおばちゃんはキンコーズというお店ならできると教えてくれた。

図書館からキンコーズまでの道のりは来るまで5分ちょいのところだった。画像は焼けたけども映像は焼けなかった。5ドル


ようやくロサンゼルスに出発ができる。そう、今日は大陸を横断しきるのだ。


そーいえば。僕にとって、旅行の楽しみの一つに食事があって、本当はきっちり何を食べたかを思い出したいとこだけども、なかなか思い出せない。というか、マックで食べることが多くて、今回の旅は節約もあってあまり職にはこだわらなかった。。。


朝起きたのが遅かったので、フェニックスを出る頃にはもう昼だった。というか、今回の旅は季節的に日照時間が短いのに、僕たちは朝遅く起きて、夜中まで運転するという、非効率なドライブをしてしまった。いけないと分かっていながらも、体が疲れきっていうことをきかなかったからだ。。。


ロサンゼルスに向けてのドライブは快調。あい変わらず空は雲ひとつなく、乾燥していた。

そして、フェニックスの町を外れると、またもやサボテン地帯が広がっていた。

アメリカのナンバープレートは州ごとにその柄は違う。たとえば、テキサスならば宇宙をイメージした絵が描かれていた、アリゾナの場合はサボテンだった。

初めてそのプレートを見たとき、こんなサボテン、本当にあるのかと疑ってしまったが、今目の前には背の高いサボテンが広がっている。今更ながらアメリカに来たことを改めて実感した。


サボテン


今日は、ロサンゼルスまで、どこにも立ち寄らずに行く予定だった。特に見るところはなかったのだけれども、途中に、なんとも言えない道があったので立ち寄った。

それは山に向ってグネグネと延びていく道。

枯れた大地を突き進むその道に引き込まれちょっくら寄り道。山のふもとまで車を走らせたが、かなりのでこぼこな道になってきたため途中で引き返すことに。いつも僕たちはこうして時間をロスしていくのだ。。。

ま、この冒険的なのが好きなんだけども。


インターステイト10

(お世話になったインターステイト10の看板前で。)


徐々に、乾燥地帯独特の岩肌が露出した平野も少なくなり、西に行くにつれて、緑の植物が増えてきた。

さらに車を走らせ周りを眺めていると、いくつかの風力発電機が見えてきた。

なんとなく、9月に旅した稚内の風力発電地帯を思い出したが、ここは桁違いだった。

目の前の山に何十、何百とい風力発電機があるが、その山だけではない。奥に続く山にも、これでもか!!ていうくらいの発電機が並べられ、あまりの数の多さに笑ってしまった。


そうこうしているうちに、日はだんだんと沈み始めてきた。サングラスを持っているのは僕なので、途中のガソリンスタンドでNと運転を交代。

僕は、西海岸のビーチで夕日が沈むのを見たかったので、急いだ。


やっとのことでロサンゼルスに入ったのはいいが、なかなかダウンタウンが見えてこない。それもそう、地図を見れば分かるけども、ロサンゼルスはとてつもなく広い。巨大な大都市だった。

都心部に近づくにつれ、交通量、そして車線も増え、運転が怖かった。京都市内を走るような車間距離で、100キロを越える車がビュンビュン走っているからだ。もちろん僕たちも、車の流れに従わなければならないので、今にも事故ってもおかしくない車間距離の中100キロほどのスピードで走った。


太陽は完全に傾き、僕たちが向う方向を赤く染めた。この光景はとてもきれいで、助手席に座るNは、これでもかというくらい写真を撮ってくれた。

本当はビーチで夕日を眺めたかったけれども、ロサンゼルスで夕日を見ながら海を目指せたことだけで満足だった。


ロスの夕日


完全に日が落ちた頃、ようやく右前方にロサンゼルスのダウンタウンが見えてきた。巨大な建物が密集していて、空気も若干かすんでいたのでなんともいえない不気味さを感じた。

それでも、その夜景はとてもキレイだったので僕は車を警戒しながらもその夜景を眺めた。


そして、ようやくサンタモニカのビーチに到着した。僕たちはビーチ付近の丘の上にある駐車スペースに車を置き、40セントほどお金を入れて、ビーチに向った。

当たり前だけども、ビーチには人がほとんどいなくて、暗い闇の中、波音を目指して僕たちは歩いた。

丘を降りてから海までだいたい200メートルくらいだっただろうか。この時の心境はさまざまな思い出いっぱいだった。

もちろん、旅の達成感もあったし、死にそうになりながらここまで来たことを思い出したりもした。海岸の向こうにいる、日本を思ったりもした。そして、かつて、西海岸を目指した人は、このビーチを見てどう思ったのかということを考えた。


それを考えると、ぞくっとした。


僕たちは車という簡単な機械を使って旅してきたわけだけども、昔の人はそう簡単なものはなかった。今では道路も整備されてるし、食糧も車に詰め込める。

そう考えると、フロンティアスピリッツって言葉がかなり重く感じた。。。そして自分の小ささを感じた瞬間だった。


サンタモニカビーチ


まあ、それでも僕たちはやり遂げたわけで、この言葉を自分のものにしよう。


夜の砂浜はとても不気味で、今にも波が僕たちを飲み込みそうに感じたので、少し感動に浸ってから戻ることにした。


車に戻り、今度は近くにあるユースホステルに行くことにした。サンタモニカは方位が非常に分かり辛く、道も分かりにくかったので、助手席のNは大変だったと思う。てか、こういう入り組んだところはいつもNがナビしてくれたと思う。運転手はナビにしたがえばいいだけだから、簡単だけれども、ナビのほうは相当いそがしかったと思う。感謝だ。


なんとかユースホステルに着いたけども、駐車場がなかったので、Nだけをおろして僕は車を停めれるところを探した。何分かして、僕のいるところへNは戻ってきたけども、どうやらユースの対応が悪かったらしい。

気を取り直して、ダウンタウンへ向う。

またまたインターステイトに乗り込み、殺人級に混む道を100キロくらいで突き進んだ。本当に事故らなくてよかった。

今日泊まるモーテルは、地球の歩き方に乗っていたところなので、だいたい位置は把握できた。ダウンタウンの中心に近いところにあり、料金も50ドルくらいで比較的安かった。


とりあえずチェックインを済ませ、荷物を置くと、僕たちは疲れながらも、恒例となったショットグラス獲得のために足を動かす。

モーテルの受付でハードロックカフェの位置を教えてもらい、いざ出発。教えてもらったとおり、ハードロックカフェの場所は遠く時間がかかったけども、道に番号がふられていて、自分が今どこにいるかを把握できたため、迷わずにつくことができた。


しかし、着いたはいいが、今度は駐車場に困った。道の端に設けられている駐車ゾーンが空いていたので停めると、近くにいた人にここはダメだっていわれるし、困った。


ハードロックカフェに入ると、きれいなおねぇさんがいた。すっげー美人だった。

アメリカの映画俳優は美人だけども、普段、日本にいて見るアメリカ人で美人だと思った人はいなかったから、僕はアメリカに来ても、美人がいないのか?と思いながら旅していたけど、美人がいないわけではなかった。というより、美人はいっぱいいた。

ま、それはいいとして、ショットグラスを購入。いつも通り食事はせずにモーテルへ戻る。


でも、夕食はまだだったので、帰り道にあった吉野家で、がっつり食べた。

アメリカに来ると、米と風呂が恋しくなったけども、この日の吉野家には満足した。

また、ガソリンも入れた。ZIPコードが分からなかったため、併設されているコンビニに、聞きに行ったら、そこで、変な兄ちゃんに絡まれた。

10ドル以上じゃないと入れたらだめとか、お前はどこから来たとか何しに来たとか。今日で旅は8日目で、モーテルでの交渉などはある程度できるようになったけれども、やはり普通の会話は難しかった。。。変な兄ちゃんだったけど、もっと話したかったな。


帰りにコンビニでビールを買い、モーテルに戻ってから2人で飲んだ。

この時のバドワイザーは、忘れられない。うますぎた。

ビールの缶は、普通の大きさではなく、750~900ミリリットルくらい入ってそうな、アメリカらしい大きな缶だった。


また、モーテルでは、これまで集めた各都市のハードロックカフェのショットグラスを地図上と同じように並べて、これまでの旅を思い出した。ショットグラスを見ると、これまで経験した苦労や、その土地の景色などが頭の中に浮かんだ。


ショットグラス


右奥から、ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、ヒューストン、サンアントニオ、フェニックス、ロサンゼルス

(地図は前回の記事を参照してください。)

そして、僕たちは死んだように寝た。




なんか、せっかくのところなのに、眠さのあまり適当に書いてしまった。あ~、この日記しんどい。1日にあった出来事を細かく思い出すってしんどい。

こんな、変てこりんな文章をここまで読んでくれた人は、本当にありがとう。



今日で横断。まだまだ、旅は続きますがこれでアメリカ大陸横断日記は終了します。

気が向けば、書くかもしれないですが。。。

アメリカ大陸横断日記8

今日は、京阪四条駅で待ち合わせがあったために、鴨川沿いをチャリンコで走った。

外はこの季節にしては暖かくて、チャリンコのペダルを軽快にこいでいたとき、僕が1年生だったころ、この鴨川に憧れて、一人朝もやの中散歩してた時のことを思い出した。

あれは大学1年のとき、サークルの夏合宿で京都駅のドまん前にある旅館に泊まったときだったな。そのとき、まだ飲み会をあまりしたことがない僕は先輩たちのノリが楽しくて朝まで飲んでた。でも、ぽつりぽつりと寝る人が出てきていつの間にか起きているのは僕だけになった。

外は、だんだんと明るくなる。でも、僕はここで寝るのはもったいないって思った。なんせ憧れていた京都のど真ん中で飲んでいるからだ。

僕は大の○ュディマリ好きで、「KYOTO」って曲も好きだった。そのなかに鴨川が出てくるから、小さな頃から僕は鴨川に行ってみたいって思ってた。で、僕は夜が明け始めた頃、しかも雨が降る中、傘をさして鴨川へと、一人向っていった。(変態とは思わないように。まあ暇だったから外の空気を吸いに行った。笑)


あのときの興奮は今でも忘れない。憧れていた鴨川にたどり着いたら早速、階段を下りて、川に沿って歩いていった。小雨の降る中、しかもこんな朝に人なんていないだろうと思ってたけど、以外に人はいて、みんな朝の鴨川を楽しんでいた。

川にはなんかよーわからん鳥が何匹かいて、静かに流れる鴨川を満喫していた。

そんななか、自転車に乗って鴨川を走っていく人を何人か見かけたんだけど、なんか、その人たちに憧れてしまった。京都に住んで、鴨川もテリトリー。なんかうらやましかったからかな。

で、いつのまにか俺も憧れていた人になってしまっていたわけで、なんか、チャリンコをこぎながら切なくなってしまったわけです。

憧れていた人になってしまったはいいが、もう京都を出なければならなくなってしまった。


昨日も、友達が引っ越すということで、その送別会としてその友達の家でたこ焼きパーティーをした。その家主は大学1回の頃からの仲で、仲で?家にはちょくちょく遊びに行っていたから、その家も僕の思い出の一部だった。その家も、今、このブログを書いている頃にはもう、何もない状況なのか。と思うと切なくなる。そして、僕の家も、今月18日に引っ越すことに決まっている。

引越しの準備をし始めるのも明日から。せつねぇ~。

でも、この大学4年間の思い出はきっと将来、息子や、孫に話すんだろな。

残り50日切ったけど、あと少し京都を楽しんで卒業したい。


では、アメリカ大陸横断日記8へ。


本日の行程。


ローズバーグ→チリカワ国定公園→サワロ国立公園→ツーソン→フェニックス

とりあえず、これまでのルートを確認するためにも地図を載せてみよう。

地図


ローズバーグのモーテルを出てから、僕たちはツーソンへ向った。

あいかわらず、乾燥地帯なので、雲ひとつない晴天。気分良く今日もドライブを楽しんだ。


インターステイト10


ツーソン周辺には、国立公園や国定公園や、これぞ西部の町っと思えるような地域があると旅行雑誌に書いてあったので、僕は期待していた。もちろんサボテンもたくさん生えている。


ツーソンへ向うために僕たちはインターステイト10に乗り、ひたすら西を目指す。だいぶツーソンに近づいたなと思ったところで、地球の歩き方を読んでいると、チリカワ国定公園というところが近くにあることに気付いた。

通り過ぎていたけれども、少し時間があったので寄ってみることに。


チリカワ国定公園までは1時間弱の道のり。どこまでも続く砂漠地帯を走り続けると、道のアップダウンが激しくなってきた。小高い丘みたいなのが続いていて、これまでの平坦な直線を走っていたせいか、この微妙な土地の変化を突き抜けるドライブは楽しかった。


そしてチリカワ国定公園に到着。


公園内に入ると、なんやら積み木みたいになっている岩があちこちに見られた。なんでこんなふうに岩が積み上げられているのだろうか。その不思議な風景に感動した。

また、砂漠の中のオアシスといわれているように、公園内にはなぜか緑色の木や草が生えていた。

公園内にはトレイルがいくつもあったので、僕たちはとりあえず一番奥まで行きとレイルを歩いた。


そこから見えた景色は、すごかった。とにかく自然を感じた。

目の前にはバランスよく積みあがった岩が立ち並び、そして、その奥には乾燥地帯が広がっている。そしてその奥には岩肌が露出する山が連なっていた。


チリカワ国定公園


迫力満点の風景。写真じゃ伝わらない。奥に裁くが広がっているのが分かるでしょうか。


あまりにも景色がすごいので、僕たちは来てよかったー!!とはしゃぎまくり、もう1つのトレイルを歩くことにした。

バランスロック

(こんなバランスよく積みあがる岩がいくつも広がっていた。)


とりあえず、トレイルは1時間くらいで戻ってこれるくらいまでいこうと考えて出発。

歩きながら、積みあがる岩を見て、地球の不思議さを実感する。そして、さらにてくてく歩いた。

ちょっと待てよ。なんかがおかしい。


どうやら僕たちはとんでもなく奥まで来てしまったようだ。早く引き返さなければツーソンに行けなくなってしまう。

僕は夕日に染まるサボテンが見たかったから、焦った。

しかし、今来た道はかなり下り坂だったし引き返すのもいやだから、このまま回って一周することにした。しかも小走り、いや、ジョギングした。

なんで、国定公園で息切れしながら走らなければならないのだろうか。。。途中で休憩したり走ったり、歩いたり。。。結局一周するのに2時間はかかった。


車に戻ると僕たちは1ガロンの水をがぶ飲みした。


そういえば、トレイルに入る前、他の人たちは結構重装備をして入っていってた。行って分かったが、トレイルには休憩所もないし、誰もいない。2時間急ぎ足でトレイルを歩いても、すれ違った人は数人。

電気も何もないところだったので、時間を間違えてはいれば僕たちは死んでいたかもしれない。。。


かなり時間をロスしてしまったが、ツーソンへ向うことに。

途中、見晴らしの広い道路で、僕たちはバックトゥーザフューチャーのテーマソングを流し、そして、時速88マイルまで加速した。

そう、俺たち二人はバックトゥーザフューチャーの大ファンだ。アメリカにきたら絶対にやろうと決めていた。そのために、テーマソングもこしらえてきたのだ。

アメリカの西部でこんなことできるなんて、本当に俺たちは幸せやった。


ツーソンでは、サワロ国立公園へ行く予定だった。サワロ国立公園とは、高さ2メートル以上にもなるサボテンがにょきにょきと生えている地帯。アリゾナを象徴する景色が広がっている。


インターステイトを急いで突っ走った僕たちは、何とか夕方にサワロ国立公園付近まで来ることができたが、どの道から公園まで行くのか、分からなかった。


とりあえず、大まかな地図とある程度の勘で、突き進む。そして道に迷っている間にもどんどん日が暮れていってしまう。

しかし、何とか到着。ギリ。公園には人はほとんどいなかった。ってかほぼ独占状態だった。


入り口にも人がいなかったので僕たちはタダで公園内に入った。ラッキー。

そして、入ると、神秘的な光景があった。昼間に、野生のサボテンを見るだけでも感動するのに、ここには辺り一帯にサボテンが生えている。そして、西の空を赤く染める太陽がサボテンまでも夕日色に染めていた。

西の方角を向いてサボテンを眺めるといつまでたってもここにいられそうな雰囲気につつまれた。


サワロ国立公園


美しい光景に気をとられ、急いで車から降りようとしたら、この写真に写っている運転席側のサボテンを一枚ちぎってしまった。

Nにサボテンを傷つけてしまった!!というと、興味深深そうにやってきて、サボテンに何か手を加えようと、手を伸ばした瞬間。


サボテンの針が何本も刺さった!!!という。僕は大丈夫かな??と思いつつも、木のとげが刺さる程度だと思い、この時のNの気持ちが分からなかった。。。。(後で分かったのだが・・・)


日が沈んだので、サワロ国立公園を出て、ツーソンの市街地に行くことにした。が、暗くて街に何があるかはよく分からない。。。


とりあえず、この思い出を、卒業アルバムに載せようと、日本にいる友達にメールで写真を送ろうと、ネットができる場所を探す。地図を見ながらうろちょろ回ったり、コンビにで尋ねたり。すると、コンビににいたおねえちゃんが、図書館ならできるよと教えてくれたので急いで向うことに。


図書館は閉館寸前だったが、ビジターとして入ることができた。んで、パソコンで焼こうと思ったが・・・・・

デジカメの電池が切れた・・・・・・それに日本語も使えない。。。

あれこれ焦っていると、閉館時間に。それでも、なんとかしたいと、図書館のおばちゃんにお願いすると、心優しく、あと少し使わせてくれた。しかし、うまくいかない。。。。


もうこれ以上おばちゃんに迷惑はかけれないので、退散することに。おばちゃん、ありがとう。


図書館を出て、本当はオールドツーソンスタジオとか、ツーソンの町を回りたかったが、今日はフェニックスのハードロックカフェに行きたかったので、悔しながらもツーソンを後にした。


町を出ると、毎度おなじみの、闇ドライブが始まった。

今日で3度目の夜の運転だけども、慣れる気配はない。とにかく暗すぎて焦点が合わないのでしんどい。気持ち悪い。


おまけに眠気もやってきたので、僕たちは死の危険性を察知して、途中のレストエリアで仮眠をとることにした。こうでもしなかったら、本当に事故る。

30分ほど寝る予定だったけれども、1時間くらい寝てしまった。

ハードロックカフェが何時までやっているか分からないので、起きたらすぐに出発した。

そして、フェニックスに到着。ハードロックカフェに着いたのは夜の10時か11時くらいだっただろうか。

店はもう締まっていたみたいだが、店員に聞くと、グッズは見てもいいと言ってくれた。

助かった!!


そして、おきまりのショットグラスをゲット!!!気持ちよく、その場を去り、次は今日泊まるモーテルを探した。

アメリカに来て、予想以上にお金を使ってしまった僕たちは前の日の晩に、明日からは2人で30ドルくらいのモーテルに泊まろうと誓っていた。だから、町を少し離れてみた。

が、なぜかなかなかモーテルが見つからない。。。ん~。。。。


頑張って探したけれども、僕もNもそうとう疲れていたので、少々高かったが、朝食付も付いてるし、1泊50ドル(2人)のモーテルに泊まることにした。

これまで、ほとんどのモーテルが、安くしてくれと頼むと安くしてくれたのに、ここはちょっと頑固なせいか、全く安くしてくれなかった。。。


モーテルに着き、寝る準備のため、ズボンを脱いだ。

すると、足にチクと痛みがはしった。よーく見てみると、サボテンが刺さっていた。。。

あのときのサボテンだ!!!!!

サボテンは何箇所か刺さっていて、とろうとすると、次は手に刺さった。慎重にとらないと、他のとこに刺さる。とにかくサボテンは簡単に体に刺さった。

この時Nの気持ちが理解できた。サワロでの彼の悲劇はそうとうなものだったのだ。。。


サボテンとの死闘も決着が付き、僕たちはすぐに寝ることにした。

昨日も8時間寝たのに、この眠気はなんだ。。。

そして、今日もいつもどおり、僕たちは死んだように眠った。



アメリカ大陸横断日記7 後編

昨日、所属していた野球サークルの追いコンがあった。

これでサークル活動も終わり、そして卒業がより現実的になって、めちゃめちゃ寂しかった。けど、俺はこの仲間と野球して、飲んで、はっちゃけて、Pとか分け分からん言葉を発しまくったりした4年間、すげー楽しかったし、これからもこの仲間を大切にしていきたいと改めて思った。

俺が偶然にもナカに出会ってバッファローに入れたことを、本当にうれしく思ってる。そしてみんなに出会えてよかったわ。

思い出すといろんなことがありすぎて、書けません。でも、感謝の気持ちでいっぱいです。それだけをここに記しておきます。




では、話はころっと変わって、アメリカ大陸横断日記7後半へ。(長いし超暇人のみ読む権利があります。)


前回の続き。

メキシコに入ると、空気ががらっと変わった気がした。こういうと説得力はないけど、体がそう感じたのだ。

橋を降りると、出口にはなにやらメキシコ人らしき人が待ち伏せていて、早速僕たちに声を掛けてきた。

piekav;irnprekf:pameoginf;voa!!!!

何を言っているのか分からない。スペイン語か。。。

頼もしいことにNが、スペイン語を履修していたので、しゃべってもらうと、あるおっさんが食いついてきた。

僕たちはタコスを食べたいのだと、伝えると、おっさんは自分の息子らしき少年を大きな声で呼び寄せて、僕たちを案内させるように伝えたようだ。

少年の名前は、、、忘れた。汚い服をきているが、元気がよく一生懸命僕たちに話をしてくれた。そして、自己紹介もして握手した。

この少年が、変なとこに連れて行くのではないかと思ったが、にこやかな顔で話しかけてくるし、こんな経験が始めての僕には、ちょっと不安な面もあった。しかし、少年は、僕たちをタコス屋のまえまで連れてってくれた。

到着すると、ここだよって顔して僕たちを見つめるが、特にお金を要求する素振りもない。本当に善意でやってくれたのかなっと、少年を信じた。

そして、少年と記念撮影。

少年は笑顔で僕たちと接してくれた。たった5分くらいの交流だったけれども、この5分は僕にとって貴重な思い出となった。

メキシコの少年

そして、本当に感謝の気持ちで包まれた僕たちは、気持ちとして少年にチップを与えた。1ドルだけど…笑

タコス屋に入ると、店内にいる人の視線が気になった。どこのまわしもんだ!!って感じで僕たちを見てくる。でも、腹ペコだった僕たちは、そんなこともお構いなしに、問い合えずタコスを注文。

タコスは直径10センチくらいの皮に肉が置かれて出てくる。そして、お好みでトッピングをするという感じだ。トッピングの具は何かよく分からないものであったが、タレをつけて食べると、ピリッとした辛口味に食べ応えのある肉、そして、本場の皮があって、今まで食べてきたどのタコスよりもおいしかった。

腹ペコだった僕たちはタコスをもう1セット頼み、さらにハンバーガーも頼んだ。お店の人も頼みすぎだろ!!という感じだったが、あまりにも美味しそうに食べる2人を見てか、こちらを向いて微笑んでくださり、その瞬間、言葉の壁を少し越えた気がした。

ただでさえ、食いしん坊な僕たちが腹ペコだったんだし、笑われても当然だったのかもしれない。

タコスを食べ終わると、名残惜しかったが、メキシコが本来の目的ではないので、アメリカに戻ることにした。

25セント払ってはしに入り、国境を越えるが、今度はそう簡単には入れない。アメリカに入るにはチェックを受けなければならなかった。混んでたので、税関を2手に分かれて並び、Nのほうはすぐに通してもらえたようだが、僕のほうの税関は、ちょっと中へ来てくれと言った。

どうやら、横断と、メキシコに入る変な旅がひっかかったみたいだ。あと、パスポートの残存日数についても喋っていた。

なんとか、通してもらえてエルパソに戻ることができた。

ゆっくりしたせいか、かなり時間が過ぎてしまっていた。なるべくツーソンまで行きたかったが、日が沈む前に、ホワイトサンズ国定公園に寄って行きたかった。

エルパソを出たところで、テキサスの観光案内所に入り、ホワイトサンズまでの最短ルートを聞いてから出発。テキサス州エルパソが最西端の町なので、長かったテキサスに別れを告げた。

ホワイトサンズに急いで向うが、無情にも太陽はどんどんと傾いてくる。日のあるうちにたどり着けるか??と思いながらも車を走らせる。

途中、検問らしきものに停めさせられ、チェックを受けるがなんなくクリア。初めての検問にちょっとちびった。

さらに走り続けると、乾燥した砂漠地帯のなかに、白い雪のような地面が広がってきた。

そう、ホワイトサンズ国定公園とは、その名の通り、白い砂漠地帯なのである。

国定公園の駐車場に車を停めて、あたりを見回すと、夕焼けがとてもキレイで、大地から突然隆起しただろうと思える高さ50メートルもある赤褐色のイワを照らし、あたりを幻想的な光景にしていた。

駐車場で見た夕日

それだけで、僕は感動してしまったが、時間がないのですぐに入場口に入ると、もう5分くらいでゲートがしまるというので、急いですすみ、なんとか国定公園に入ることができた。マジでぎりぎりだった。

公園内は車で移動できるので、白い砂漠の中に通る道を車で突き進んだ。

ある程度進んだところに車を置けるスペースがあったので、停めて砂漠の上を歩いてみる。

感動だった。

白い砂に打ち付ける夕日は砂漠をオレンジ色に染めた。なんで、こんないろになるんだ!!!!!!って、叫びたくなるくらい、神秘的だった。

ホワイトサンズの夕日

ホワイトサンズ国定公園を、日が落ちるまで堪能してから、僕たちは同じ道を引き返し、西へ向った。

途中、山越えをしたとき、下りの坂で見れた夜景はキレイだった。Nにも見せてあげたかったが、残念ながら気持ちよく寝てたから、起こさなかった。

1時間半くらい走ってから、運転をNと交代して、今度は僕が眠ることにした。この旅、初めて、お互いに睡眠をとることにした。やはり、夜の運転は予想以上に疲れる。

仮眠の予定がかなり眠ってしまい、気付いたら、ニューメキシコ州のローズバーグ(Lordsburg)という町に着いていた。この日は、なんとかインターネットと洗濯をしたかったので、若干高かったけれども、前回も泊まったモーテルの会社である、Best Western に泊まることにした。

しかし、インターネットは使えなかった。繋ぐところはあったが、パソコンは自分で用意しろということだった。とりあえず、洗濯機だけ回し、近くのマックで夕食の買出しをした。僕は、さすがに夜マックは嫌だったのでサラダを頼むがあまり安くなく、4ドルちょっとした。

夕食をとり、洗濯場に行こうとすると、途中でくそでかいイヌに出会った。アメリカはイヌもでかいんかい!!!

あまりにもでかく、殺気を感じたので見つからないように、こそこそと洗濯場へ。何でこんなことせなあかんのや!!怒

こうして洗濯を終えて、僕たちは今日も死んだように寝た。

アメリカ大陸横断日記7 前編


先ほど徹夜マージャンを終えて家に帰ってきました。

なかなかブログを更新しない僕ですが、この調子では、学生のうちに日記を書ききれない。

なぜなら、新たな旅も計画されているからである。

それは、

「ヨーロッパを練り歩け」

途中から一人旅にもなるとあって、今からわくわくしてます☆

では、アメリカ大陸横断日記へ。

朝起きると、すでにNは起きていて、部屋の外に出ていた。

なんだろうと思い、僕も眠たい目をこすりながら外へ出てみると、そこには幻想的な光景が広がっていた。

昨日、地平線へ沈んだ太陽が、逆方向から、「虹色」のような光と共に昇ってきたのだ。赤色でもあり、青色でもあり、黄色でもあり、紫でもあり。。。

そんなのあるか、って思われるかもしれないが、本当に言葉にはできない光景が目の前に広がり、僕を感動させた。眠気なんて一気に吹き飛んだ。

フォートストックトンは砂漠に近い、小さな町という感じで、アメリカに来る前、僕が行きたいと思っていた町だった。

なので、僕たちはモーテルを出ると、フォートストックトンの町を、走った。

快適なドライブだった。

町は静かで車も少ない。幹線道路からはずれれば、信号機もない昔ながらのアスファルトの道が続く。交差点で左右を見渡すと、アメリカらしく、道の両サイドに家が並ぶ。ただ、それは日本のように密集しているのではなく、庭などもあって家の間隔は広く、開放感が溢れていた。

それほど時間に余裕はなかったので、30分くらい走ってから、インターステイト10に乗り、エルパソを目指して、西へ進んだ。

すると、

目の前に、昨日とはまた違う光景が広がっていた。

高い木なんてひとつもない。あたりは、砂地に覆われていて、岩肌が露出している感じだった。まばらに草が生えているが、それはひざくらいの高さばかり。

西部に近づいたことを実感した。

フォートストックトン付近

どこまでも続きそうな一本道の両サイドには、日本では見ることができない乾燥した荒地が広がる。

僕はこんな道が走りたかった。

少し走ると、もう我慢できなくなった僕たちはインターステイトを降りて、荒地を進んだ。広大な荒地の真ん中に行きたかったのだ。

そして、ポイントを見つけると、僕たちは記念写真を撮る。カメラを固定して、車と一緒に。

テンションが上がりまくった僕は、動画で荒地を走る姿を撮影してしまった。笑

荒野

寄り道したせいで、予定時間をずいぶんオーバーしながら、インターステイトへ戻る。

そして、給油する際、ビーフジャーキーを購入した。

これがまたうまい。

アメリカにあるほとんどのガソリンスタンドには横にコンビにみたいなものが併設している。そして、そこでドリンクやお菓子などを購入できるのだが、そこにはほぼ、確実と言って良いほど、ビーフジャーキーが置かれていた。

ジャーキー好きのNがうまいよって言うので僕も買ってみたのが始まりだったけども、これが、これからも続く長旅の友達となった。BSEなんてどうでもいいやって思ってしまうほど、中毒みたいに、食べ終わってはまたコンビニで買い、ぺちゃくちゃしゃぶって車を運転して、また買って。

ショットグラスを購入すると共に、各地でビーフジャーキーを食べ歩いた。

乾燥地帯を走る車窓から見る景色は最高だった。

フォートストックトンよりも、小さな町なんていくらでもあるし、そういった小さな町にもちゃんと人がいて、生活している。まるで現代生活から隔離されたような場所ではあるが、そこはまさにアメリカらしい町並みだった。

車窓から見る乾燥地帯の町並み

さらに走ると、今度は荒地を勇ましく突き進む、貨物列車に遭遇した。

長さはどれくらいだろうか。ざっと見た目で推測するに1マイル(1.61キロ)以上あったように思える。

とにかく長いので、追い越すのには時間がかかるくらいだった。それを引っ張るのは先頭にあるたった一台のディーゼル車だ。

広大な台地を背景に、とてつもなく長い貨物列車が走る姿は、日本では感じることのできないない「大陸」という言葉を見せ付けられたような気がした。

大陸横断貨物列車

壮大な大地に、気を取られ、かなりの時間をロスしてしまった僕たちは、昼頃にようやくエルパソにたどり着いた。

エルパソは、メキシコとの国境の町。英語とスペイン語が入り混じっていた。メキシコからは、多くのメキシコ人が、エルパソに買出しに来たりしている。そう、ここではは橋(税関あり)を渡れば国境を越えることができるのだ。

もちろん、僕たちも、エルパソからメキシコに入る予定でこの町に訪れ、そして国境付近の駐車場に車を停めた。

朝からしっかりと食事をしていなくて、腹ペコだったけれども、僕たちはメキシコのタコスをおもいっきりたべてやろうと、その場の空腹を何とか我慢した。

国境に向う途中、広場があったがそこには、露店がひしめき合っており、服や帽子など、フリーマーケットみたいにいろいろな商品が安価に売られていた。あまりの安さに僕たちも目移りしながら、国境にたどり着く。

一応パスポートと、帰りの航空券を携帯していったが、国境(橋)を超えるにはたった25セントを支払うだけでよく、パスポートを見せるなどのチェックは一切なかった。なんて甘いんだ…

アメリカ、メキシコ国境

つづく。

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