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アメリカ大陸横断日記⑥


アメリカ大陸を横断してからもう2ヶ月か。そして、僕が学生でいられるのも2ヶ月をきった。

時の流れは早いものです。


てか、1月はほとんど日記を書けませんでしたが、めっちゃ濃い1ヶ月でした。

年越しを関西でしたあと、実家に帰りじもっさとはっちゃけたり、家族団欒したり、若草山の山焼き行ったり、卒論提出したり、アンキックに本気になったり、俺んちで鍋パしたり、卒論発表したり、ゼミの仲間と飲んだり、久々の友達と飲んだり、野球仲間と飲んだり、徹夜マージャンしたり、ロケに参加したり、徹夜で卒業旅行の計画立てたり…


ん~ちょっと思い出すだけでいろいろしたな。個人的には、本を読んだり一人で映画を見たりすることも多くなった。

あ、明日(5日)のおやつの時間、俺がたむ○んと一緒にカラオケしてるのが放映されるしおたのしみに。寒くて顔がひきつってる俺が見れるはず…たぶん。。。




では、アメリカ大陸横断日記に。(これ、自己満足のために書いてあるんで、暇ある人だけ読んでくれたらうれしいです。)

さてさて、2ヶ月も経つとなかなか思い出せないので、押入れからアメリカの道路地図を取り出しました。大陸横断中に書いた日記をここで公開していると思っている方もいるかも知れませんが、僕とNは横断中に日記は書きませんでした。

ってか、書けませんでした。前半は睡眠時間が少なかったということもありましたが、中盤からは毎日8時間は寝ていたのですが、とにかくしんどい旅だったので、モーテルに着くと僕たちは毎日死んだように寝てしまったからです。(9月に一人で北海道1周したときは毎日書きました。)


前回の記事でも書きましたが、この旅は誰にもお勧めできません。しんどくて日記を書くこともできないし、毎日8時間寝ても、ベットに入れば死んだように朝まで眠ってしまう。こんな過酷なたびは人生最初で最後。22歳の俺たちじゃないとできなかった旅だ。


では日記に。


昨晩泊まったのは、ヒューストンから西へ20~30マイルほど走ったところ。「Best Western」というモーテル。

車が故障して動けなくなったからしかたなく高いお金を払って泊まったが、その分部屋はきれいだったし朝メシはちゃんとついてきた。僕は、ドーナツを4つほど食べ、ワッフルをセルフの機械を使って自分で作り、オレンジジュースをがぶ飲みし、バナナを食べ、最後にりんごを丸ごと一個いただいていった。

過酷なたびは予想以上に腹が減る。


ちょうどモーテルの隣に、車の整備工場があったので直してもらいたかったが、レンタカー会社が直さずに近くの営業所までもってこいというので、しかたなく故障したまま走ることに。


昨日は僕が全て運転したので今日はNに運転を任せた。モーテルの駐車場で少し運転の練習をしてから出発。昨日自分が運転した経験から、Nに任せて大丈夫かな、と思ったが、さすがはN。助手席に乗りながら運転の感覚をつかんでいたようだ。


僕は、アメリカから日本に手紙を送りたかったので、とりあえず、モーテル近くの郵便局に寄ってからインターステイト10に入りひたすら西を目指した。


近くの営業所と言っても、それらはめちゃくちゃ離れている。1番近いのはヒューストンの空港だけど、さすがに戻るのは面倒だったので、進行方向である、サンアントニオの空港を目指した。(サンアントニオまでおよそ200マイル、320キロ)なぜなら、今日は、エルパソまで行く予定だったからだ。

ちなみにヒューストンからエルパソまでは約750マイル。1200キロだ。


僕たちはひたすらインターステイト10を西へ走る。


すると、道の両サイドにはこれでもかというくらいに、動物の死骸が転がっている。あっ、鹿だ。あっ、イヌだ。あっ、きつねかな?あっ猫みたいなのが…、あっまた鹿だ。1分の間に何度この言葉を発したことか。小さな小動物から、大きな動物まで。ひいたら車に乗る僕たちも危ないくらいだ。

昨日の夜中のドライブでは暗くて見えなかったものが、明るくなり、その残酷な光景を僕たちの前に現れたのだ。

ニューオリンズから、サンアントニオまでは比較的、緑があるので、動物たちも多く生息していた。

ここはまさに「デスロード」だった。

あまりの死骸の多さに、途中笑ってしまい、僕たちは名付けた。


そして、サンアントニオまでの道中、故障した車にさらに追い討ちかかかった。CDプレーヤーが故障した。アメリカの車はなんて故障が多いんだ!!(怒)

なんとかデスロードを走りぬけ、サンアントニオに到着。


まずは空港へ向う。営業所に着くと、タダで車を交換してくれた。まぁ当たり前か。同じタイプの車ならばどれを乗ってもいいということだったので、僕たちは比較的新しそうなシボレーの車に乗り換えた。


車は快適、いざ出発!!


車ではCDしか聞けなかったので、昨日の夜、立ち寄ったコンビニみたいなところで買った、ラジオの電波で、Nが持ってきたプレイヤーの音楽を聴ける道具を取り出そうとしたところ、見つからない。

サターンの車に忘れてきたと思い引き返そうとするが、僕たちは道に迷い、家の前に芝生が生い茂る光景が広がる住宅地に入り込んでしまった。


アメリカは、大きな道は分かりやすいが、都市に入るととたんに、道に迷う。


なんとか営業所に戻り、先ほど立ち会ってもらった、おっさんに忘れ物はなかったかと聞くと、シボレーの車のここに入れてたよ、っと言う。探してみるとあった。

なんであんたが知ってるんだ。


かなり時間をロスするが、サンアントニオにはハードロックカフェがあり、時間がなかったので、立ち寄るかどうかということになったが、もちろん行こう、となった。

そして、店の目の前の駐車場に車を停めたところで、僕はNに言った。


大陸を横断するってのも、1つの目標だけど、それだけでは物足りない。道中のポイントで、何か目的を持ちたかった。だから、ハードロックカフェには必ず行き、ショットグラスを買いたいと。


ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、ヒューストンのハードロックカフェでショットグラスを獲得してくることで、そこにたどり着かなければならないという意思や、手に入れたときの達成感が、このしんどい旅のなかで、自分のモチベーションを維持させてくれたからだ。それに、帰ったときに、思い出の品になると思ったから。


店の前で、アメリカ人のカップルに写真を撮ってくれと頼まれて、お互いに撮りあってから、入店。

今日はNのおごりで、ハードロックカフェで昼食。

ジュースは飲み放題で、僕はコーラを、Nは毎度のことながらドクターペッパーを注文した。

僕たちのテーブルの隣には家族4人が、美味しそうに特大のハンバーガーを食べ、特大のデザートを食べ、特大のジュースをぺろりと食していた。簡単に言うけど、こどもは5才くらいの女の子と、7歳くらいの男の子。こんな頃から、必要以上のカロリーを摂取してしまうアメリカ社会は、当然お尻が特大の人が増えるのだと、感じた。

僕も同じようにハンバーガーを口にするが、あごが外れそうだった。

ハードロックカフェ

食後、もちろんハードロックカフェのショットグラスを購入してから、車を走らせ、ひたすら西へ向う。

途中、食糧の調達のためにスーパーに寄ってみる。生まれて初めてアメリカのスーパーに入ったが、これまたでかい。なんか、全てでかい気がした。買い物カゴもでかいし、売られているものの量もでかいし。何か感動した。

油濃いものばかり食べていられないのでここで、晩御飯用にサラダとりんごを購入した。

スーパー

さらに西へ進むと、だんだん、日が傾いてきた。

僕はサングラスを持ってきたので、Nと運転を交代した。

どこまでも続く、とてつもなく長い道に、地平線へ沈んでいく太陽。そういえば、昨日よりも日が沈む時間が遅いことに気づき、アメリカ大陸の大自然を身をもって感じた瞬間。

テキサスの夕日

さらに車を走らせると、あたりは真っ暗になった。電灯なんてひとつもない。都市部から離れたため、車の数も少なくなってきた。

窓ガラス越しに空を眺めてみると、今にも降ってきそうな、光の粒が僕たちの視野を埋め尽くしている。

こりゃ、見るしかない。

僕たちは、インターステイトを降りて、車のライトも見えないような真っ暗な道を進み、車を停めて星を眺めた。

この時の気持ちは一生忘れない。外に出ると、手を伸ばせばすくえるんじゃないかと思えるようなダイヤモンドが東西南北、全てに広がっていた。

北には北斗7星があった。それを見ていると、小学校のころ、母と兄と一緒に庭で天体観測をしていたころを思い出した。懐かしくて、涙がこぼれそうだった。

普段見えない星が見えてしまうので、シチョウセイが見えてしまう。

西にはオリオン座があった。僕はこの1ヶ月、6カ国を渡り歩いたが、どこでもオリオン座は見えた。真夏のクリスマスを味わった、シンガポールでも、人間について考えさせられたバンコクでも、家族や友達、恋人がいる日本でも。

なんか、どうにも言葉では表せない、切ない気持ちになった。

流れ星はバンバン流れるし、まるで別世界にいるようだった。

こうしてオリオン座のベルトまではっきり見えるほどのテキサスの星空は、感動とともに、僕にいろんなことを考えさせてくれた。

テキサスの星空

今日はエルパソまで行く予定だったが、出発したときから、無理だと分かっていた。夜中の道は、視界が狭く、運転が困難なのでエルパソよりも250マイルほど東にあるフォート.ストックトン(Ft. stockton)で泊まることにした。

インターステイトから降りて、町に向う途中に古びたモーテルがあったが、僕たちの所持金はほとんどなく、仕方がなく、カードが使えるモーテルに宿泊。フォート.ストックトンは、田舎町だったので、2人で30ドルと、かなり安く泊まることができた。

モーテルに入り、道中に購入したサラダを食べて、その日も死んだように僕たちは眠った。

つづく。

アメリカ大陸横断日記⑤後編




みなさん、明けましておめでとうございます。

年々、年賀状を各習慣がなくなり、せめてメールで新年の挨拶をしていたんですが、とうとう今年はメールさえもしませんでした。なんで、ここで新年の挨拶とさせてもらいます。

というのも、僕は卒論に追われていて、今年のお正月は、正月という感じがしませんでした。

クリスマス頃にカゼをこじらしたのがかなり痛かった。。。でもでも、頑張って20000文字を書き上げ、本日提出してまいりました!!!!!!!!!!!!

では、アメリカ大陸横断日記へ。

前回は、必死の思いで、ニューオリンズのハードロックカフェへ行ったところまで書きましたが今回はそのつづき。

まさに、アメリカ大陸を横断し始めたとこからです。

ハードロックカフェでショットグラスをゲットしてから、僕たちはインターステイト10に乗り、西へ向う。

インターステイトとは、日本でいう高速道路みたいなもの。アメリカ大陸の都市と都市を結ぶ大きな道で、速度制限は州によって異なるが、基本100キロ以上で、120キロが限度ってかんじ。

ちなみにアメリカはご存知のとおり車社会で、道も整備されている。僕たちの車にはカーナビは着いていないが迷う心配はない。たとえば、インターステイトでいうと、大陸を横断する道は基本数字は南から10間隔でつけられている。

だから、僕たちがお世話になった、インターステイト10は一番南を通る横断道路だ。

インターステイトは網の目上に走っていて、北に行くに連れて、20、30、40と数が増える。

また、大陸を縦断しているインターステイトは、数字が5間隔になっていて、大陸の一番西から東にいくにつれて、5、15、25、35という感じになっている。

つまりは、これさえ覚えておけば、自分が東西に走っているのか、南北に走っているのかが分かるってわけ。

話は戻って、僕たちはインターステイト10を西へ向う。

ニューオリンズを出てちょっとしたら、すぐに町がなくなり、熱帯雨林地帯のような光景となった。

また、前方は見渡す限り地平線が広がり、この時点で、僕は北海道が小さかったと自分の目をもって実感した。(北海道が小さいんじゃなくて、アメリカが広すぎる!!!)

熱帯雨林地帯

高速道路なので、道路は反対車線と分離していて、走りやすくはなったけれども、外車で100キロ以上で走り続けるのも、けっこう怖かった。

道は、どこまでも真っ直ぐ続き、僕はそのとき、出発前に友達が言ってたことを思い出す。

「アメリカは直線に気をつけなよ。」

地平線の向こうまで真っ直ぐな道が続くから、気を抜いてしまうのだ。

僕は、初日とあって手に汗を握っていたけど、慣れたら怖い道。今後気をつけようと誓いました。

で、あたりはだんだんと暗くなり夜になりました。

きました。

僕たちは、この旅で、何度かマジで死にそうになりましたが、ここで第一回目の死の恐怖がやってきました。

アメリカのインターステイトは、確かに日本でいう高速道路だが、都市と都市の間が、何百キロと離れているので、道を照らす、ライトなんてどこにもなかった。

つまり、僕たちは、自分の車が放つライトだけを頼りに走らなければならないのです。

車のライトがあればいいやん!!て思う人もいるかと思いますが、真っ暗闇の世界では、車のライトが照らす範囲も相当狭いです。

僕は、走りながら、なんか、気持ち悪くなってきた。目が、脳が、気持ち悪い。

後で考えて分かったことだけど、人間が暗闇の中を、手探りで前に進んでいくとどうだろうか。かすかな光を頼りに、前進していく。結構しんどいって思いません??

どこに焦点を合わせたら良いのかも分からない状態になるので、焦点を探しながら、辺りに注意を払いながら、緊張しながら、見知らぬ土地で、100キロ走行。

気持ち悪くなるわな。

そしてそして、さらに追い討ちをかけるように、嵐がやってきた。

バケツをひっくり返した感じで雨が打ちつけ、前方は10メートルくらいしか見えない。。。。

僕は、前を走る車のテールランプを頼りに走った。

周りはマジ暗いし、雨で視界悪いし、焦点が合わなくて気持ち悪いし、止まったら後ろから追突されるし、今日中にヒューストンに着かないと、今後の予定に響くし、まだ運転してない、Nとインターステイトで交代するわけにいかないし。。。。

僕はドライブが大好きで、実家には車とメシを求めて帰るような人間だけど、このときは、人生で最も運転したくないと思うことができた。

というより、このとき運転し続けたのは死ににいくようなものだった。。。

結果的に事故ることなく、ヒューストンに到着。渋滞もあったため、夜の11時半くらいに到着した。

それからまたしても僕たちはハードロックカフェを探した。

ヒューストンの町は一方通行が多く(基本どの都市でも同じ)かなり道に迷ってしまった。

途中、一方通行の道だと思い込み、交差点を左折すると、前方から車が走ってくる。。

間違えた!!!!!!!

そのとき、僕たちはこの旅2回目の死の恐怖にさらされた。


クラクションを鳴らされ、何とかぶつからずにすんだが、運が悪ければ死んでいたとこだ。。。

早くこの町を出て、休みたい。。。。。

なんとか、ハードロックカフェを見つけ出し、ショットグラスをゲット。店を閉めようとしいたけど、こころよく、買い物をさせてくれた。ありがとう。

ヒューストン

この日はモーテルに泊まるつもりだったけど、都市部は高いので、ちょっと都市から離れたところで泊まろうと、西へ向う。

が、辺りは暗く、モーテルらしきものはない。もう30キロくらい走っただろうか。反対車線側にはあるけど、僕たちの進む方向にはモーテルがなかった。

仕方がないので、反対車線に回り、Best Western というモーテルで、まず料金交渉してみることにした。

駐車場に車を止め、パワーウインドウが半分開いていたので、閉めようとするが、

ガ、ガ、ガ、ガ!!!

という音が鳴り響く。。。。

普通、真っ直ぐ上に上がって、締まるはずの窓ガラスが、壊れて、真っ直ぐ上がらなくなってしまったのだ!!やばい。

しかも、外に出ようとすると、ドアが開かないのだ。

何じゃこりゃ。

時刻は、午前2時ごろ。モーテル見つからないし、計画どおりに進まないしでイライラが大爆発寸前になったが、ここのモーテルのお兄ちゃんが優しい人で、車の状況を見てくれるなどしてくれて、気持ちが和らいだ。

ここのモーテルは予定より高い金額だったけど、仕方なしに泊まることにした。

そして、レンターカー会社に電話をする。もちろん電話はNがしてくれた。

この時のNはマジで頼もしい。自分ではそこまで英語はできないとか言いながらも、一生懸命事故の状況を電話で伝える。

現場での説明なら伝えやすいが、電話で説明となるとなかなかしんどいだろう。マジ感謝でした。

明日、最寄の空港で、車を交換してくれるということになり、長く過酷な1日がやっと終わった。

今日は約12時間運転して、400マイル(約640キロ)以上走った。


そして僕たちは、死んだように眠った。







ちなみに、僕は日本へ帰ってきてから、誰にもアメリカ大陸を車で横断することは勧めていません。

アメリカ横断できるなら死んでもいい!!!って思えるならば、行ってもよいと思います。その代わり、僕たちみたいに5日で横断しようと考えず、最低でも2週間とって行けばまだ死ぬ確立は低いと思われます。

今年最後

今日で今年も最後。このブログも今年最後の記事です。


ん~、今年一年は人生で最も刺激の多かった一年になったような気がしますわ。


就職活動して、初めての海外旅行して、初めての一人旅して、勉強して、新しい友達にも出会って、そして、今年は人生で初めて関西で年明けを迎えることだ。

とりあえず、年越しは大阪で、そして、今日は電車が終夜運手してるので京都に帰る予定。

京都の年明けってどんな感じなんだろうか。

お寺とかの鐘が鳴り響いていい感じになってたらうれしいな~と期待してます。

今年は京都で過ごす最後の年ってことで、京都のいろんな顔をみたいと思ってました。だから、葵祭り行ったし、祇園祭行ったし、五山の送り火見たし、時代祭り見たし、鞍馬の火祭り見たし、いろんな京都の姿ってのを見てきたけど、それを締めくくる最後?の行事として、年明けかな~と思ってます。


てか、今年はうるう秒が七年ぶりにあるらしいですな。日本時間の1日午前8時59分59秒の後に同60秒という「うるう秒」が入るらしいっす。



アメリカ横断日記はまた後日。

アメリカ大陸横断日記⑤前編

久々にカゼにやられてしまいました。

22日のアンキックの企画中、なんかしんどいな~、寒いな~、と思いながら3回生と会話していたところ、帰って熱を測ったら、38度弱。

このくらいの熱ならいつもへっちゃらって感じの僕ですが、今回はなんか違う。すっげーしんどい。

そして、しんどいながらも無理をしていた僕にとうとう罰が。。。。


おもっきりカゼをこじらした。。。今日はクリスマスっていうのに俺は布団の中か。

まっでも昨日のイブは雪降ってホワイトクリスマスになったし、それだけで今年のクリスマスは満足だな。


てか、今日、久々にパソコンを開けました!!なんで、旅の続きを。



アメリカ大陸横断日記⑤



11月26日


「カトリーナに負けない町、ニューオリンズ」


朝起きて、とりあえず、朝食をとる。2人で100ドルだけあって朝食はしっかりついてきた。オレンジジュースをがぶ飲みして、パンを遠慮なしに食い漁ってから出発。

まずは、昨日の夜開いていなかったハードロックカフェへ行くことに。


やっぱ夜と昼とでは町の雰囲気はぜんぜん違う。昨日は怖かったバーボンストリートの隣の路地も、昼歩けば、アメリカらしさをムンムン出す、町並みが続く。

こーいうとこを歩きたかったんだな。

だが、ハードロックカフェは今日もやっていない。


しゃーなしでバーボンストリートを歩きに行こうとすると、Nに異変が起こる。どうしてもホテルへ戻りたいというので、戻り、用を済ませてからチェックアウト。

時刻は11時ごろだったかな。今度こそハードロックカフェがやっていることを信じていってみるがやはりやっていない。しかし、店員さんがいたのでいつやっているかを聞いてみると、どうやら営業時間は12-17時らしい。

でも俺たちは12時に空港で車を借りる予定。待ってられないからその場を去る。

空港までは、ちょっと距離があるのでタクシーを使うのはもったいない。なんで、公共のバスを使うことに。


バーボンストリートを抜けて、バス停があるとこまで、徒歩約15分。

この15分は濃かった。


バーボンストリートは、まさにニューオリンズ!!って思わせる通だけど、そこを少し外れたら、ゴミまるけの町並みが広がっていた。

夜は暗くて、よく見えなかった光景が、あたりに広がる。

カトリーナの被害は半端じゃなかった。そう、この町の8割はつい3ヶ月前まで水に浸かってしまってたんだ。

しかし、この町の意識も半端じゃない。お土産屋には、カトリーナにちなんだグッズが販売されている。なんて町だ。Tシャツにコップに。。。

とりあえず、僕たちはカトリーナ復興を願うリングを購入。腕につけた。


町


バス停でバスを待つがなかなか来なかった。待っている間、通行人のおっちゃんが俺らを心配して声をかけてきて、空港までの行き方を教えてくれた。

するとバスは来た。よかった。

しかしどうやら途中で乗り換えをしなければならないらしい。よく分からないが、とりあえず、乗車。


バスから見る町並みも、悲惨だった。あまりに悲惨だったので僕は写真を撮らなかった。

さっきと同じでゴミが山積みにされ、家の壁には、水がここまで浸かったってことを表す、茶色いラインが入っている。


乗り換え場所に着くと、一緒に乗っていたおばあちゃんも空港付近へ行くということなので、おばあちゃんと3人、僕たちは次のバスを待つ。

アメリカのバス停には時刻表なんてない。いつ来るか分からなく、時間がどんどん過ぎるのにいらいらするなか、時間があったので、バス停前のレストランを覗いてみる。


というか、レストランだったのか??壁ははがれているし、窓ガラスも割れている。店の中はぐちゃぐちゃ。


ニューオリンズ


カトリーナ被害の写真はこの1枚しか撮らなかった。というか撮れなかった。

早く復興が進み、この町が元の活気ある町に戻りますように。。。



話は戻り、バスが来たので、僕たちはおばあちゃんと共に乗り込む。


ようやく空港へ着き、僕たちはレンタカー貸し出しのフロントへ向う。

アメリカの空港にはどこもレンタカーのフロントがあって、車を借りるのにはとても便利な環境となってます。


レンタカー会社もたくさんあって、それぞれフロントにはお姉さんがいるが、僕たちがお世話になる、「ナショナル」には誰もいない。シャトルバスに乗れという看板があるだけ。

Nが備え付けの電話で受付に電話してみるが、シャトルに乗れの一言。


とりあえず、乗ってレンタカー貸し出し所へ。手続きは簡単に終わり、僕たちは車選びをする。

駐車場にはたくさんの車がならんでいるけど、車のランクが同じならば、どれを乗っていっても良い。駐車場を出る前に車をチェックされるって仕組み。


僕たちは「サターン」を選んだ。よし、頑張るぞ。

これから始まる、大陸横断に胸が高まりながら僕たちは駐車場を出る。


だが、僕たちは、市内へ戻った。


なぜなら、ハードロックカフェへ向うために。


初めての海外でのドライブ。初めての右車線。初めての左ハンドル。初めての外車。初めてのアメリカ道路標識に、初めての道。


初めてだらけでパニックになりながらも、神経を集中させて車を走らせた。


無事ハードロックカフェに着いたが、車を止める場所がない。仕方なく、僕たちは高い駐車場へ入った。


その周辺から、なんか楽しそうな音楽が聞こえてきたのでその方向へ行くと、ミシシッピ川が現れ、その川沿いで、小さなイベントをやっていた。

ステージで演奏される音楽に浸りながら、芝生に座って、ミシシッピ川を眺める。良い町だ~。


ミシシッピ川


Nが、ラジカセで音楽のプレーヤーを再生できる機械を持ってきていたけど、どうやらこの車は、CDとラジオしか聞けないので、近くのタワレコでCDを購入。

その後、やっとの思い出たどり着いたハードロックカフェで、僕はショットグラスを購入して、ようやく横断に向け、車を西の方向に向って走らせた。


1日の出来事を1回で書くのはしんどいし、疲れるんで今回からかける範囲でちょこちょこ更新していきまっす。


つづく。

アメリカ大陸横断日記④

今日も夜勤明け。

僕はこの夜勤を3年間続けた。3回生の春からチーフになり、シフトつくりや、アルバイトの採用などをやってきたんだけど、それも今日で終わり。

ちょっと寂しかったけど、今日の朝はすがすがしかった。

ちなみに、3年間続けてきたが、このバイトの離職率は0だ。

一人も辞めていない。。。すごいバイトだったよ。



アメリカ大陸横断日記!!


「アムトラックでアメリカ縦断達成!!」


11月25日(3日目)


昨日、狭いアムトラックの個室でゆれるし、寝れるか心配したがさすがに疲れがたまっていて、起きたら朝だった。

朝食はアトランタに着いてからと言われて、ちょっと窓の景色を眺めてみる。


アムトラックは街中を走ったり、田舎を走ったり、小さな町の中を走ったりと、アメリカの大地が見せる様々な景色を僕たちにプレゼントしてくれた。

そうこうしているうちに、アトランタへ到着。


アトランタ


ちょっとしてから、朝食を食べに行くと、食堂のおばさんが朝食の時間はさっき終わったと。。

でも、特別に食べさせてもらった。


朝食はオムレツを頼んだ。朝から超ヘビーな食事。油っけばんばんで、アメリカ人にデブが多い理由がよく分かった。。


次の食事の時間を聞くと、今度は11時半からとのこと。僕らは今10時に食事を済ませたばかりなのでとりあえず、12時くらいに行くことにして、昨日買った地図などをそれぞれ眺め、明日からスムーズに車に乗り込める準備を行った。


そして、時間になったので食堂へ。マジ、食っては寝て、食っては寝てって生活。


食堂へ行くと、なぜかお客さんがいない。。。なんでだ??

食堂のおばさんに聞いてみるとまだ時間じゃないと言う。。。



え??


僕たちは、電車に乗りながら、時間の境界線を越えたらしい。

そう、アメリカ大陸には4つのタイムゾーンが存在していて、東と西とでは4時間の時差がある。


ということは、明日から面白い。西に向って時間の境界線を越えたら、1時間時間が戻る。ってことは1時間得するってわけ。

旅をしながら時間を越える。なかなかできない経験だ。


いったん部屋に戻ってから、再度食堂へ。

昼食はハンバーガー。まさにアメリカのハンバーガー。

テンションが上がった。あごも外れそうになった。日本とは違って、ケチャップとマスタードは自分でつける。

ピクルスは切られておらず、ハンバーガーを食べながらかじる。

ハンバーガーの肉は日本とぜんぜん違ってかなりうまかった。

最後についてきたデザートもでかい。なんて国だまったく。


列車からの風景1


昼からもぐだぐだ。ちょっと昼寝するなど、まるで豚だった。

そうしているうちに、夜になり、列車はニューオリンズに到着する。


この街は3ヶ月前に、「カトリーナ」の被害にあった場所。

日本で被害の状況を、見てみると、街の8割が水につかったらしい。

まだまだ復旧もできていないようだったが、それでも、僕たちはニューオリンズを、縦断の終着駅、そして、横断の出発点と決めた。


到着と同時に宿探しにうつるが、ユースホステルに電話はつながらないし、駅インフォメーションで聞いても、今日は金曜の夜だし、どこもいっぱいということ。一番安くて、たしか170ドル(2人で)だった。

こりゃやっとれんと、僕たちは町に繰り出し、自力で安い宿を探すことに。


しかし、街は暗い。人通りも少なく怖い。軽く小走りしながらも、とりあえず、ホテルの多そうな南のほうへ歩いていった。

が、なかなかホテルは見当たらない。ここで方向を転換して、「バーボンストリート」に向う。

近づくにつれて、音楽が鳴り響く。なんか、別の世界へ来たみたいだ。


バーボンストリートは人で混んでたので一本北の道で宿を探そうとするが、たった1本路地に入るだけで、めちゃめちゃ暗いし、奇妙な水溜りあるし、すっげー怖かった。

まず、1件入るが、ここも満室。電話機を借りて、他の宿にも電話するが、どこも満室。

やばい。


でも諦めず探した。


すると、「ブレイムダームズ」という、バーボンストリートのすぐ近くにある、ホテルに、交渉の末、100ドル(2人)で泊まらせてもらえることになった。

どうやら、テレビがつかないらしく、普通だったら200ドルするところをまけてくれた。ありがとう。


部屋はとても広くて、なかなか豪華だった。僕たちは荷物の整理をして早速準備に取り掛かる。

昨日までマイナス4、5度の世界にいたのがうそみたいに僕たちは薄手の服に着替えた。Nなんて半袖だったし。


そして、僕たちは「バーボンストリート」へ向った。

(ニューオリンズは、音楽の町でも有名。そして、「バーボンストリート」とは、ニューオリンズ一番の名物通り。道の両サイドにライブハウスが立ち並び、ジャズや、ブルースなどのリズムが聞こえてくる。)


あまり洋楽を聴かない僕だけども、このときは、左右どこからでも流れてくる音楽にやられ、気分は最高潮。

こんなに音楽を愛している街、見たことないよ。

Nは大のロック好きで、流れている曲はどれも聞いたことあるみたいでテンションは僕よりも上がりっぱなし。うらやましかった。


通りは、みんなお酒を片手に陽気に歩いていた。


バーボンストリート


途中、何度か、外人に声をかけられたりした。よー分からんがデブのねーちゃんと、一緒に写真を撮ったりした。


まず、僕たちはハードロックカフェへ。普通だったらまだやっていておかしくない時間だったが、なぜか締まっていた。なんでいつもこうなんだ!!!

それからまたバーボンストリートへ戻る。


とりあえず道を往復して雰囲気を味わってから、ロックのお店に入った。お店の入り口に入ったところで便ビールを購入。5ドル。

このビールを片手に、音楽を聴く。めっちゃかっこよかったわ。「すぃーとほーむ、ルイジアナ!!」


ライブハウス


店内には、かわいい店員さんがいて、その店員さんは奇妙な色した試験管を持っている。そして、どうやらそれを胸に挟んで、お客に飲ませるらしい。

非常に気になったが、残念ながら僕らは若く見えたかどうか分からないが、おねーちゃんは全く来てくれなかった。。。


3曲くらい聴いてから、ライブハウスをはしごすることに。


次はジャズっぽい店へ。


ここはお客が少なかったせいか、ボーカルが僕らを指差し、「いぇーええ!!」と言ってマイクを突き出してきた。

ノリノリの僕は、大声で「いぇーええ!!」と言い返す。なんて楽しいんだ☆会場は1つになった。

ちなみにこの店でもビール1杯で過ごさせてもらった。


ジャズ


そして、外へ出た。ライブハウスは、道を歩いているだけで中の状況が見えるので、歩きながらライブハウスの中を覗きながら、徘徊する。


途中、ピザを買ったりなど、夜の街を楽しんだ。


で、1時半ごろになり、僕たちはホテルへ引き返すことに。なぜなら、ホテルのおばちゃんが、2時には警察がいなくなるから、戻ってきたほうが良いって言ってたからだ。


バーボンストリートは楽しい道だが、やたら警察が多い。治安が悪いせいか。途中捕まってる人もいた。

ってか、馬に乗る警官が多く、道に馬糞がけっこう転がっていた。。。

でも、この馬糞がアメリカって感じで、あまり気にならなかったのは俺だけかな。



アメリカ大陸横断日記③

この1週間は3回の飲み会がありました。

その中のひとつ、「もしS」の飲み会は、就活始まる前に飲んだ以来で、久々でした。


「もしS」(もしもサークル)のメンバーはたった4人。大学1年からの友達で、1年のころは、毎週火曜日の2限、食堂でソフトクリームを片手に、「もしも~だったら」というお題でひたすら話し合った仲間。

勝手にサークルを名乗ってこんな名前つけました。


全員体育会系。


勢いの良い乗りでまたまた飲みまくってしまいました。。。



アメリカ大陸横断日記。


「ニューヨークを駆け回れ」



前回の記事の通り、僕たちは目覚ましを6時にセットして寝た。

僕は、自分のアラームにも気付かずに寝ていたところ、Nが起こしてくれた。

でも、気がつくと僕の時計は既に8時を指していた。


やばい!!かなり時間をロスした!!


外を見てみると、まだ日は昇っておらず真っ暗。なんでだ???

ニューヨークは日が昇るの遅いのかな???


よーく考えてみたら、僕は時計日本時間のままにしていた。。。アラームに気付かなかったんじゃなくて、ならなかったんや!!!


チェックアウトは11時だったので、荷物はまた後にとりに来ることにして、ユースを出た。


まず、目指すのは自由の女神。

地下鉄に乗ってマンハッタンの最南端を目指す。


到着後、公衆電話から日本へかけようとするが、使用方法が理解できず、無駄払いしてしまった。そして、Nの携帯で自宅に無事という報告を。


自由の女神に行くにはお金を払っていく方法があるけど、僕たちは貧乏なので、裏技を使った。

お金を払わず、自由の女神を見よう!!

ってことで、一般市民が乗る、マンハッタンとスタテン島を結ぶフェリーに乗った。これ、タダ。


なんでタダなんだ??と思いつつも船は進み、自由の女神の目の前を通過。風がやたら強いが外へ出た。

これが見たかった!!

自由の女神


スタテン島へ着いた後、散歩。野球場の鎖を外し、軽く進入して写真を撮った後、もう一度船に乗る。


フェリー乗り場で買ったベーグルを食べながら、今度はマンハッタンが近づいてきた。

この光景もなかなかのもの。


マンハッタン


到着後、次はワールドトレードセンター跡地へ向かった。

やっぱこれは外せない。

地下鉄で向かったが、この付近の駅は閉鎖されているので、1つはなれた駅で下車。シティバンクで両替した後、じゃっかん迷いながら向かう。


実際に、この目であの恐ろしい事件の跡を見ると、心が痛む。

周りにビルが立ち並ぶが、ここだけ何にもない。



もうちょっと見ていたかったけど、11時までにチェックアウトを済ませないといけないので、帰ることに。

またまた地下鉄の駅まで迷いながら、人に道を聞きながら帰る。


ユースに戻ると、僕たちの部屋に一人の男性がいた。

男性はNと会話する。

途中「アムトラック」(これから乗る電車)の話になるが、アムトラックの旅はとても良いとのこと。

ちょっと楽しみになった。


僕たちの泊まったユースは、「セントラルパーク」の近くだったので、チェックアウトを済ませた後、歩いて向かう。少し静かな路地を通り抜け、あの有名な、公園が見えてきた。


アメリカの路地


暖かい太陽の下、僕たちはニューヨーク市民の憩いの森を散歩する。

公園には、ジョギングをする人が多く、他にも家族で散歩する人たち、ペットと散歩する人たち、そこにはニューヨークの休日があった。


地下鉄に乗り、今度はアムトラックの駅へ。

チケットを日本で予約して、駅にあるキヨスクで発券する予定だったけど、心配だったので早めに行ったのだけど、これまたスムーズで、何の問題もなく、チケットを手に入れた。

駅は7番街にあったので、今度は徒歩でエンパイア・ステート・ビルに向かった。


その途中、パレードに出くわす。

そうだ、今日は、Thanksgiving Day だ!!

街はお祭り騒ぎ、なんたって、今日は日本でいう正月みたいなもの。

街でダンスをしていたり、なんやらで盛り上がっていた。

ニューヨークのど真ん中を、自由に歩く。いい思い出になった。

エンパイア付近


僕たちのパレードと共にテンションが上がるが、残念なことにエンパイアステートビルは大変な混雑。

待ってる時間がなかったので、諦めて、昨日のリベンジ、ハードロックカフェへ向かった。



そこで、この旅初めて、ショットグラスを購入。

またまた近くの吉野家へ立ち寄り、牛丼のコンボサイズを持ち帰りして、またアムトラックの駅へ向った。


駅でアメリカの道路地図を購入。


乗り方が不明だったけど、なんとかいけた。

ニューヨーク、ワシントン間は大変な混雑で、座るところがなく、駅員に尋ねると、ビジネスクラスの席を使って良いとのこと。

社内で牛丼を食べながら、そして、ニューヨークの高層ビルがどんどん離れていった。

バイバイ、ニューヨーク。


僕たちはワシントンで乗り換える。ワシントンまでは3時間だったけど、眠ってしまい、いつの間にか着いていた。あたりは暗くなっていて、あまり光がない街だったので、ここが本当にワシントンなのか???と疑ってしまうくらい、都会ではなかった。


乗り換える電車の発車時刻を見てみると、1時間遅れているとのこと。もともと、乗り換えに1時間余裕あったので2時間の自由時間ができた。ってことで、タクシーを使い、ホワイトハウスを見て、またまたハードロックカフェにも行った。(ちなみにアムトラックは日本みたいに、電車のダイヤは正確でない。余裕で何時間も遅れたりすることがあるらしい。)

もちろんそこでもショットグラスを購入。

気分よく帰ろうとするが、さっきも書いたとおり、ワシントンは暗い。タクシーも走っていない。しかも気温はマイナス4、5度ってとこ。結構焦った。人通り少なく、道は凍ってるし、風強くてごみが舞ってるし。。。

なんとかタクシーを捕まえるが、先ほどのタクシーもそうだったように交渉制。ワシントンのタクシーは高い。。。




駅に戻ると、Nはトイレへ。そして、アメリカの首都で便器を詰まらせてきた。たいした奴だ。


そうしているうちに電車の出発時間になり乗り込む。

これからは27時間ほどの旅になるので、個室を予約していたけど、これが狭い。。。二段ベットになっていて、僕たちが自由に歩けるスペースなんてない。ベットの横には便器がある。なんか、牢屋にでも入れられた気分だったわ。


高い個室を取ったこともあり、どうやら食事も料金に含まれていた。

メニューには7種類くらいの料理があったが、僕たちはもちろん一番高いステーキを頼んだ。


マジうまい!!!!


狂牛病なんてどうでもいいやってくらいうまかった!!!

そして食事を終えたら部屋に戻るが、ベットにシーツが掛けられ、準備されていた。

これはなかなか。あのおっちゃんが言ってたとおり、快適なたびになりそうかな☆

便器を除いて。


そのあと、シャワーを浴びてから、疲れていたこともあり、僕は爆睡してしまった。


明日はとうとうニューオリンズ、楽しみだ!!


アムトラック


アメリカ大陸横断日記② 出発編

みなさん!

JUDY AND MARY が新しいアルバムを発売しまっすよ☆

その名も、

COMPLETE BEST ALBUM「FRESH」

でも、これは、昔発売された「FRESH」に、ひとつだけ、motto、ラッキープール、PEACEの4曲を加えたものです。あと期間限定版でこの4曲のPVもついてくるんだってさ。

あ~、ちょっとテンション上がりました。

さて、アメリカ大陸横断日記です。

1日目(2005年11月23日)

前日(22日)から、日本でやり残したことを処理するため、頑張るが、なかなか片付かずに、結局一睡もすることなく、僕は荷物を作り、出発した。

徹夜明けで旅行行くとかありえんし!!!(シンガポールから帰ってきて6日間、布団で寝たのは1回…)

飛行機の出発時間は7時ごろだったけど、今日は昼くらいに大阪に行って携帯の機種変更をした。

新しい携帯も手に入って、気分よくご飯を食べる。

さ、そろそろ関空に向けて出発しなければ。

でも、ちょっくらAちんの働くお店に寄り道して、冷やかしついでにコンパクトフラッシュを購入。(5000円)

これで、旅の途中にカメラ屋を探す手間が少なくなるな。(北海道1周の時の経験を活かす)

これまた頑張って働く姿を見て、気分よく関空に向かった。

関空に着くと、Nは既に国際線のところで待っていてくれた。

そして、席の確保だけど、もちろん僕は窓際がいいので、お願いした。

そして出発!!

出発してから1時間することなく、飛行機は我が地元である羽島市の上空を通過した。

長良川、木曽川、揖斐川が合流する木曽三川が以外にはっきり見えたので、一生懸命自分の家を探した。そして、心の中で親に行ってきますのあいさつを。いつも、見守ってくれてありがとう。

飛行機が出発してから、機内食が出る。

僕はいつも飛行機に乗ったらビールが飲めると、テンション上がるんだけど、今回ももちろんビールを頼んだ。せっかくなんでビールはキリンにせず、「ミラー」っていうアメリカの会社のを頼んだ。

そして、僕らは、これから始まる長くそして辛い戦いの始まりを祝い、乾杯した。



フロンティアスピリッツに乾杯!!!




この言葉、一生忘れない。



で、Nには申し訳ないが、ご飯を食べるとすぐに、爆睡させてもらった。

飛行機は順調に飛び、まずはシカゴに到着。

飛行機が到着する際、これぞアメリカって!!いう町並みが目に映った時にはちょっと感動。早速到着記念のため、空港前で写真撮影。

空港はクリスマスの装飾で輝いてました。

シカゴ

そして、国内線に乗り換えだけど、飛行機の出発ゲートが直前に変更され、結局出発時刻が遅れてしまい、ニューヨークには1時間くらい遅く着いた。

またまた、着陸の際、ニューヨークの夜景が見れて、テンションはさらに上がる。

到着後荷物を取りに行くが、初めて海外で乗換えをしたってこともあり、ちゃんと荷物があるか不安になったけど、もちろんあった。

日本にいるときに、ニューヨークのユースホステルを予約しておいたので、そこまでの行き方を、インフォメーションのおばちゃんに聞く。

が、このおばちゃん、マジで話すスピードが早い。

英語が苦手な僕はビビッてしまいました。。。

これまで、香港やシンガポールなどは、英語の本家ではなかったせいか、僕にとってまだ聞き取りやすかったが、ここはニューヨーク。聞くのが大変だった。。

ちびった僕はNに頼ってしまった…情けない。。

おばさんに教えてもらったバスでユースまで。

途中ハーレム付近を通過したときは、町並みや乗ってくる乗客にまたまたちびりながらも、ユースに到着。

ユースの場所は、Amsterdam Ave. と103th St. の交わる交差点。

ちなみに説明すると、アベニューAvenue(街)は、マンハッタンを南北(縦)に走る通りのことを指し、

ストリートstreet(通り)はマンハッタンの東西を走る通りです。

こんな感じで京都と同じように街が碁盤の目のようになっているので、ニューヨークは基本迷子にならない都市だな。

で、ユースには23時ごろに着いてチェックインを済ませてすぐに荷物を置いてから街へ向かおうとするが、偶然エスカレータの前でであった、イギリス人の若者集団にからまれる。

彼らはお酒が入ってたせいか、ご機嫌。

とにかく笑いまくりで、一緒に記念撮影をしてその場を去った。

そしてまず、エンパイア・ステート・ビルに行きたいとこだったが、飛行機が遅れたこともあってあきらめ、タイムズスクエアに向かうことにした。

が、その前に、ユースの目の前にある、メキシコ料理屋でタコスを食べる。

これがマジでうまい。もう1つ食べたくなったけど、時間がないのでその場を去る。

初めてニューヨークの地下鉄に乗った。

よくテレビで地下鉄が危ないってのを見てたので若干警戒していたけども、だいぶ治安はよくなったみたい。

でも、落書きはあった。

地下鉄

タイムズスクエアで降りたところで、2ドルのホットドックを購入。タコスとは天と地の差があった。

まずはNお気に入りのハードロックカフェに向ったのだけども、残念ながら、ついさっき閉店したみたい。

その後、寒かったし、タイムズスクエアを把握しきれていなかったので、作戦会議&腹ごしらえのため吉野家へ。

クラムチャウダーと、mealコンボを頼む。コンボは予想していた通りくそでかい。クラムチャウダーは本場の国だけあっておいしかった。吉野家でこれだけうまかったらほかはもっとうまいのか…

その後、タイムズスクエアの中心へ。

とにかく光まくりの場所で、見覚えのある光景がそこにはあった。なんか感動。

タクシーはもちろん走っているけど、馬車も走ってたり、10人乗り位のチャリンコタクシーもあったりと、意味不明な町だ。

タイムズスクエア


その後、有名なロックフェラーセンターに行ってクリスマスツリーを見ることに。こんな夜中を徒歩で移動。

ツリーはあったが、点灯は来週ということで、今回は気分だけ楽しんだ。

ロックフェラーセンター


ツリーの点灯なしでも十分キレイだった。


さあ、次どこ行こう。

ってことで、ニューヨーク市立図書館に行ってみた。これまた徒歩で。

さすがに、深夜2時近くに日本人がこんなところをあるいているなんて馬鹿だろうか。

なんで、ここまでして、必死になってニューヨークを見ているのか。


なぜかというと、僕たちは次の日の2時、ニューヨークを出なければなかったからだ。(ニューヨーク滞在時間15時間)


だから、とにかく、ニューヨークを歩き回ったのだ。

調子に乗って、俺たちは真夜中の図書館でこんなことまでしていた。


ニューヨーク市立図書館

よじ登ってやったよ!!


馬鹿だわ。


時刻は3時ごろ。ユースは荷物置き場で、徹夜でニューヨークを楽しむつもりだったけど、明日のことも考えて、戻ることに。

今度は危険を冒さず、タクシーを拾ってユースまで帰る。


ユースはドミトリー式なので他の人を起こさないよう、静かに寝る準備を済ませ、4時ごろ就寝。

目覚ましは6時にセットした。


なんちゅう過酷な旅だ!!!!!!!!!



あ~、23日は長かった。日付変更線を渡ったので2日あったみたいだ。同じ日の、夜を、違う場所でもう一度楽しむって始めてのことに感動。


最後に、

次の日(11月24日)はThanksgiving day (感謝祭)。

僕はついているのか知らないけど、海外旅行へ行くと、なにかしら記念日に出会う。

香港は、返還記念日で、百万ドルの夜景に花火が上がった。

タイでは、ブッダを祭る日。1年に1度しか開かないお寺に入れた。

そして、今度はニューヨーク。感謝祭は、日本でいう正月みたいなものらしい。


ま、このおかげで、感謝祭当日は電車料金普通だけど、25日からは料金が跳ね上がる。だから、お金がない僕たちは、24日発の電車に乗るしかなかったんだ。。。


つづく。

アメリカ横断日記「準備編」

本日は、ちょいと用事?で昼から大阪へ。寒かった。


今日は大阪ドームで日経ナビ主催の合同企業説明会があったみたいで、就活生が梅田をうろちょろしていました。俺もたしか去年行ったなーと懐かしく感じたのと同時に、毎年変わらない就職活動ってのがちょっといやに感じた。



話し変わって、前回予告したとおり、アメリカ大陸を横断した話に。。


えーっとまず、この旅を計画しだしたのはいつだったっけなぁ。あれはたしか、10月のある日、友達のNぼるとFっきーで、お好み焼きを食べに行った帰りかな。

あれは今でも忘れない。トイレに入って考え事をしていたら、滑って転んで、便器に頭をぶつけて。。。。そのとき、思いついたのが次元転移装置だ。。

本当は、レンジでご飯を温め初めて1分くらいしてから「メシ食いに行かない?」って電話があった。タイミングが悪すぎる。

この3人は以前香港へ行った仲間。

大学の学際期間中、Fはヨーロッパに行くみたいで、Nは他から声をかけられているみたいだったが、まだはっきりしていない。

Nは旅行好きで、以前からおっきい旅を一緒にしてみたいという気持ちがあった。んで、とりあえず、いけたらどっか行こうと話を持ちかけておいた。


で、お互いの予定も合い、旅行すると決まったのが、10月下旬。出発日は授業などを考慮して11月23日と決めた。やばい、あと1ヶ月。


行き先は、アメリカ合衆国。

旅の内容は、車でアメリカ大陸を横断。フロンティアスピリッツ!!!!!

期間は、11月23日から12月11日まで。

旅費は25万以下。できるだけ安く。


と決めたけど、下3つは変更されました。



まず、航空券をとることに。

目的は横断することだったので、季節的に、南のほうを横断しようと考えたんだけど、僕はどうしても、世界の中心である、ニューヨークをこの目で見てみたかった。

Nは行ったことがあったので、わがままながらお願いして、入国は、ニューヨーク、出国はロサンゼルスという形で航空券を探した。


しかし、1ヶ月きっているということもあってなかなかない。直接旅行会社のカウンターにも行ってみたけど、ない。

どうやら帰りの11日が日曜なんで混んでるらしく、僕たちは混雑を避けて、9日帰りの航空券を予約することにした。


次に、レンタカーの予約を。

しかし、僕たちは横断を簡単に考えていた。ってか普通に考えたら、横断すれば、出発の土地に戻らないと、乗り捨て代金がかかるはず。

しかもアメリカは日本とは比べ物にならないくらい広い。。。。片道何千マイルだ。。。


で、まずレンタカー会社に問い合わせると、最初に聞いた会社は乗り捨て代金1000ドル!!!!!!

マジかい!!!!!!!!!!!

こりゃやってられないということで、とにかくいろんな会社に電話してみた。

で、みつけたのが、「National」っていう会社。ここは乗り捨て代金が2万円くらいだったのでだいぶ助かりました。。。。危ない危ない。


レンタカーの貸し出しは、「ニューオリンズ」で、返却は「ロサンゼルス」


で、次に列車の予約。

先に書いたとおり、ニューヨークに、まず入るので、ニューオリンズまでは「アムトラック」っていう電車で移動することにした。(日本でいう国鉄みたいなものかな。)


つまり、俺たちは、横断だけするつもりだったけど、「アムトラック」を使って、アメリカを縦断してしまうことにしたのです。


てなわけで、俺たちは、「アメリカ大陸を縦断、横断しよう」てことになりました。

おかげで費用もかさみ結局30万円を超える旅に。。。でも、行くしかねぇ!!!


そのほか、旅の準備でしたことは、国際免許証の作成、国際学生証の作成、ユースホステル会員への入会、クレジットカードの作成などなど。

やるべきことを全て済ませ、出発のときを待った。



つづく。


僕の知らないところで、知らない人たちが、毎日一生懸命生きている。③

続き。最後です。


アユタヤ


アユタヤ遺跡は、外から眺めるだけではない。なんと遺跡の中に入っていくことができました。

なんか、ドラゴンクエストの世界に入ったみたいで、ちょっと感動。時間内にめいいっぱい歩きました。


アユタヤ2


夜になり、アユタヤ付近で、アユタヤ料理を食べてから、僕たちは空港へ。ありがとう、かとちゃん、もとい「サン・ジャン」

残念ながら、今日の深夜にバンコクを出て、大阪に着くのは朝の5時っていうしんどい便。

毎回ながら、僕は窓際の席がいいので、空港で頼む。


これでシンガポール航空も3回目。そして飛行機は飛び立った。


窓の外にはバンコクの夜景。バンコクの夜景は普段見る夜景と違った。

町の明かりは少ないが、道路の明かりがはっきりと見えた。本で読んだが、バンコクは、都市計画をしっかりと行っていなかったので、道路が無茶苦茶。だから、渋滞の都市とも言われているらしい。だから、道だけが鮮やかに見える。

そんな光景を見ながら、ちょっと悲しくなった。夜景を見ながらこの旅を振り返った。



僕の知らないところで、知らない人たちが一生懸命生きていた。



パッポン市場で見かけたストリップのお店。番号札をつける女性。路地裏で見かけた栄養失調のために体が動かない貧しい人々。汚い田舎の村で、馬鹿な観光客相手に毎日踊りを繰り返す人々。笑顔でストリップ街に入っていく日本人のおっさんたち。

みんなそれぞれの環境で生きている。


バンコクは娯楽の国とも言われていて、人を買ったり、売春目的で多くの日本人が行ったりするけど、マジありえんって思った。日本でもそういうお店はあるし、それもビジネスで成り立っていることだから、仕方ないなって思える。ただし、日本という裕福な国だから。

けど、バンコクでそういうことをしてみたとする。一瞬の快楽のために、お金を払ってやるんだけど、相手のことを思ったら、そんなこと決してできないって思うわ。

日本みたいに生活が安定していないし、生きるために必死になっている人が多いし、そこで働いている人たちは、生きるためにそういう選択手段をとるしかなかったかもしれない。少なくとも、日本よりはその可能性は大きいと思う。

そんなふうに、毎日を一生懸命生きている人を相手にするなんて、罪悪感しか残らんのちゃうかって思うわ。よー笑いながら、そういうところにいけるもんや。いろんな光景を見たら、より一層、なんともいえない強い気持ちがこみ上げてくる。けど、何もできない俺に、こんなこと言う資格もないか。。。

バンコクにとってこの性のビジネスはなくてはならないものだし、やってかないと、多くの人が貧しくなってしまう。でも、でも、俺は早くこういう環境を抜け出すことを祈ります。


たぶんバンコクはまだましだと思う。まだまだ貧しい国なんていくらでもあるし、環境はもっとひどいはず。

そんなことを考えて、俺に今、何ができるかを考えるけど、やっぱたどり着くのは、一生懸命生きるということ。改めて思うことに意味があるのだと思う。

そして今こうして生きていることに感謝の気持ちを持ちたいと思う。ありがとう。



なんか、めちゃめちゃな文章だし、だらだら述べてスンマセン。こんなこと言える立場にもないのにスンマセン。ただ、この旅行で、強く、このことを思ったので書きました。

常に胸において生きていきたいと思います。


夜景



















で、日本には5時ごろ到着。帰宅。前回のブログに書いたとおり、忙しい毎日が再開しました。

だが、僕にはもう1つ、大きな冒険が待っていました。


「アメリカ大陸を横断する」


出発日は23日。とにかく時間がなかった。なのに23日までに夜勤が4回ある。。。。睡眠時間は毎日ほとんどなし。さらに、出発の準備のため22日は一睡もせず家を出る。

なんて過酷だ。。。。



てなわけでこの1ヶ月はほとんど日本にいませんでした。その代わり、この1ヶ月で、シンガポール、マレーシア、タイ、アメリカ、メキシコと5カ国を旅しました。

次回からはフロンティアスピリッツでアメリカを横断した話を書くつもりです。

では。

僕の知らないところで、知らない人たちが、毎日一生懸命生きている。②

前回の続きです。




そこでムエイタイも見ることができた。初めて見たんだけどその迫力には驚きました。あれはケンカだ。


ムエイタイ



その後、僕たちは市内へ戻る。バンコクでもガイドさんから追加のツアーに参加しないかと勧められるが断り、僕たちは、ナイトマーケットに向かった。


香港も、女人街などのナイトマーケットに行ったけど、これまた面白い。夜になると路上に露店がずらっと並び、そこを歩いていく。結構危ない場所で、スリにも気をつけないといけないんだけど、そこには面白い品物がずらっと並んでいる。それより、もっと面白いのが、値引き交渉。ここでは値引きしてもらうのが当たり前。ってか、まず値段を聞くと、ぼったくりの金額を提示してくる。

そして一言、高すぎるといえば、第一段階で半額ぐらいになることが多い。しかしこれで満足なんてしてられない。どんどん値下げしてもらう。

すると、相手が、僕に電卓を差し出す。要求の金額を提示しろとのこと。

そこで、こっちもありえないくらい安い金額を提示する。すると、相手は眉間にしわをよせるが、これでいい。

このくらいしないと、確実にぼったくられる。

そんな駆け引きを続けると、これ以上は赤字になると言われる。そこを見極め、最後は、立ち去るふりをする。と、最後にもう一分張り値下げしてくれて購入決定。

あー面白い。


僕たちは「パッポン市場」ってとこに行き、それぞれ買い物をしました。

んで、僕は今後、旅をする予定があるので、バックパックを購入。友達にも買ってきてほしいと言われていたので、2つ購入。ちなみに1つ目を値切れるだけ値切ったあと、もう1つ買うからって言うとさらに値引きされることが多いです。


パッポン


パッポン通りは、香港のナイトマーケットとは少し違った。道沿いにあるお店は、扉を開け、中でストリップをやっていた。道を歩く僕たちもその様子が見れる。しかし様子がおかしい。

こんな見せびらかすのに疑問を持った。中で水着になっている女性を見ると、その人には番号札が張ってあった。

あくまで予想だけども、ストリップの会場の奥にはまた別の施設があると思う。お客はお店に入り、気に入った子を見つけると番号を指名して、奥へ入っていくって感じかな。おそらく。

道を歩いていると、前から日本人のおっさん二人が歩いてきて、すれ違いざまに、「今日は何を買おうかなぁ」という会話が聞こえた。めっちゃ笑顔で。このときはさすがにテンション下がったわー。まあ、全て予想なんでなんとも言えないですけど。とにかくいやになった。


友達が体調を崩し、早めにホテルに帰りその日もとランプをして就寝。


そして5日目。

この日は午前中自由行動。4人は二手に分かれた。僕は自由行動。そして他の2人は追加にお金を払って、水上マーケット観光ってツアーに行った。


僕はとりあえず寺巡りがしたかったので、ワット・アルン、ワット・ポーの順にまずは回った。(タイ語で「ワット」は寺を意味する)

ワット・アルンまではタクシー、で行ったのだが、乗ってはいけない交渉制のタクシーに乗ってしまった。ちょっとぼったくられたがまあ仕方がない。


次にワット・ポーに行くがワット・アルンとワット・ポーの間にはチャオプラヤ川がある。バンコクの水上交通に一度乗ってみたいと思っていたので、乗ってみると、料金はわずか3バーツ。確か。

船に乗り込むと、とりあえず波の揺れが激しい。ゆれるゆれる。船酔いなんて気にされていないんだろう。それに、チャオプラヤ川はめちゃくちゃきたない。チョコレート色の川だ。

チャオプラヤ川


そんなこんなで川を渡って、ワット・ポーへ。

で、やりました。念願だったサガットのあの技を、、、


ワット・ポー

また、ここでトラディショナルマッサージをしてもらいました。30分280バーツ。


そんなこんなで次は市場に行くことに。


今度はバンコクで有名な、トゥクトゥクに乗ろうと、道を歩く。

すると、変なおっちゃんに声を掛けられ、話をした。

英語を話すタイ人には気をつけろといわれていたが、どうやら、このおっちゃんが言うには、今日はタイの年に一度のお祭りの日らしい。

で、俺たちは市場にいきたいと説明するが、どうしても、ある寺に行けという。

そこは1年に1度しか開かないとこらしいから予定を変更して行ってみる。

すると、そこには黄金のブッダがいた。さらに、寝ている大仏、座っている大仏、立っている大仏、胡坐をかく大仏。一度に全ての大仏が見れた。

だまされたと思って来たが、どうやら僕たちは貴重な風景を見ているようだ。


この寺まで、トゥクトゥクに乗ってきたがこの運転手がいい人で、運転席に乗っけてもらえた。トゥクトゥク


いろいろ連れてってくれたのにたったの40バーツ。僕はうれしかったので100バーツ支払った。ありがとう、おっちゃん。


そのあと、バンコクで一番高いビルに寄って景色を眺める。

そしてバンコクで一番栄えているサイアムスクエアに。

たくさん移動したが、途中、路地裏を歩くと、ものすごく貧しい人たちがいっぱいいた。

両手がない人、足を引きずりながら、手を足代わりに歩く人、下半身が動かずに匍匐前進みたいに動いている人。この光景は目に焼きついた。かわいそうと思うがどうにもできない自分にむかついた。

この様子は胸に刻んでおかなければならないことだ。


午前中の市内観光を終え、午後からは世界遺産である、アユタヤ遺跡に行った。

ここも、市内のお寺同様、僕が思い描くものがすぐそこにあり、圧倒された。


つづく。