アメリカ大陸横断日記9(最終章) 横断達成 | 320のブログ

アメリカ大陸横断日記9(最終章) 横断達成

とうとう引越しの準備を終えて岐阜に帰りました。引越しの準備を3日前まで余裕ぶっこいてたら、予想以上に整理に時間がかかり、徹夜でやることになってしまった。。。

これから引越しする人は、余裕こかないほうがいいですよ。




では、アメリカ大陸横断日記へ。


フェニックスの朝、どうやら僕たちはそうとう疲れていたらしく、9時半すぎ位に起床した。今日泊まったモーテルは朝食が付いていたので、がっつりいただこうと食堂らしき部屋に向うが、どうやら朝食の時間が終わってしまったみたいだった。

マジかよ!!ってくやしそうな顔をしていると、お情けでシリアルだけ食べさせてくれた。せっかく高いお金を払ったのに肝心の朝食が食べれなくて後悔しながらも、荷物の整理をして出発する。


で、とりあえず、インターステイト10に乗るため、フェニックスの市街地へ向う。

フェニックスは、高いやしの木が道の両サイドに並び、南国にきた間隔になった。そして、僕たちはここぞとばかりに、バックトゥーザヒューチャーの「The Power Of Love」をリピートで流しまくった。何度聞いてもこの曲がフェニックスに合っていた。


また、図書館があったので、昨日できなかった、デジカメの画像を取り込む作業をしに行った。フェニックスの図書館はなかなか近代的。作りも新しそうでこれなら、焼けると思ったけれども、なぜかCDに焼くことができない。なんでだ。それに日本語も使えなかったから結局なにもできなかった。

カメラの保存可能用量も少なくなってきたので、なんとか、写真を焼きたかったため、他の施設でできないかと聞くと、図書館のおばちゃんはキンコーズというお店ならできると教えてくれた。

図書館からキンコーズまでの道のりは来るまで5分ちょいのところだった。画像は焼けたけども映像は焼けなかった。5ドル


ようやくロサンゼルスに出発ができる。そう、今日は大陸を横断しきるのだ。


そーいえば。僕にとって、旅行の楽しみの一つに食事があって、本当はきっちり何を食べたかを思い出したいとこだけども、なかなか思い出せない。というか、マックで食べることが多くて、今回の旅は節約もあってあまり職にはこだわらなかった。。。


朝起きたのが遅かったので、フェニックスを出る頃にはもう昼だった。というか、今回の旅は季節的に日照時間が短いのに、僕たちは朝遅く起きて、夜中まで運転するという、非効率なドライブをしてしまった。いけないと分かっていながらも、体が疲れきっていうことをきかなかったからだ。。。


ロサンゼルスに向けてのドライブは快調。あい変わらず空は雲ひとつなく、乾燥していた。

そして、フェニックスの町を外れると、またもやサボテン地帯が広がっていた。

アメリカのナンバープレートは州ごとにその柄は違う。たとえば、テキサスならば宇宙をイメージした絵が描かれていた、アリゾナの場合はサボテンだった。

初めてそのプレートを見たとき、こんなサボテン、本当にあるのかと疑ってしまったが、今目の前には背の高いサボテンが広がっている。今更ながらアメリカに来たことを改めて実感した。


サボテン


今日は、ロサンゼルスまで、どこにも立ち寄らずに行く予定だった。特に見るところはなかったのだけれども、途中に、なんとも言えない道があったので立ち寄った。

それは山に向ってグネグネと延びていく道。

枯れた大地を突き進むその道に引き込まれちょっくら寄り道。山のふもとまで車を走らせたが、かなりのでこぼこな道になってきたため途中で引き返すことに。いつも僕たちはこうして時間をロスしていくのだ。。。

ま、この冒険的なのが好きなんだけども。


インターステイト10

(お世話になったインターステイト10の看板前で。)


徐々に、乾燥地帯独特の岩肌が露出した平野も少なくなり、西に行くにつれて、緑の植物が増えてきた。

さらに車を走らせ周りを眺めていると、いくつかの風力発電機が見えてきた。

なんとなく、9月に旅した稚内の風力発電地帯を思い出したが、ここは桁違いだった。

目の前の山に何十、何百とい風力発電機があるが、その山だけではない。奥に続く山にも、これでもか!!ていうくらいの発電機が並べられ、あまりの数の多さに笑ってしまった。


そうこうしているうちに、日はだんだんと沈み始めてきた。サングラスを持っているのは僕なので、途中のガソリンスタンドでNと運転を交代。

僕は、西海岸のビーチで夕日が沈むのを見たかったので、急いだ。


やっとのことでロサンゼルスに入ったのはいいが、なかなかダウンタウンが見えてこない。それもそう、地図を見れば分かるけども、ロサンゼルスはとてつもなく広い。巨大な大都市だった。

都心部に近づくにつれ、交通量、そして車線も増え、運転が怖かった。京都市内を走るような車間距離で、100キロを越える車がビュンビュン走っているからだ。もちろん僕たちも、車の流れに従わなければならないので、今にも事故ってもおかしくない車間距離の中100キロほどのスピードで走った。


太陽は完全に傾き、僕たちが向う方向を赤く染めた。この光景はとてもきれいで、助手席に座るNは、これでもかというくらい写真を撮ってくれた。

本当はビーチで夕日を眺めたかったけれども、ロサンゼルスで夕日を見ながら海を目指せたことだけで満足だった。


ロスの夕日


完全に日が落ちた頃、ようやく右前方にロサンゼルスのダウンタウンが見えてきた。巨大な建物が密集していて、空気も若干かすんでいたのでなんともいえない不気味さを感じた。

それでも、その夜景はとてもキレイだったので僕は車を警戒しながらもその夜景を眺めた。


そして、ようやくサンタモニカのビーチに到着した。僕たちはビーチ付近の丘の上にある駐車スペースに車を置き、40セントほどお金を入れて、ビーチに向った。

当たり前だけども、ビーチには人がほとんどいなくて、暗い闇の中、波音を目指して僕たちは歩いた。

丘を降りてから海までだいたい200メートルくらいだっただろうか。この時の心境はさまざまな思い出いっぱいだった。

もちろん、旅の達成感もあったし、死にそうになりながらここまで来たことを思い出したりもした。海岸の向こうにいる、日本を思ったりもした。そして、かつて、西海岸を目指した人は、このビーチを見てどう思ったのかということを考えた。


それを考えると、ぞくっとした。


僕たちは車という簡単な機械を使って旅してきたわけだけども、昔の人はそう簡単なものはなかった。今では道路も整備されてるし、食糧も車に詰め込める。

そう考えると、フロンティアスピリッツって言葉がかなり重く感じた。。。そして自分の小ささを感じた瞬間だった。


サンタモニカビーチ


まあ、それでも僕たちはやり遂げたわけで、この言葉を自分のものにしよう。


夜の砂浜はとても不気味で、今にも波が僕たちを飲み込みそうに感じたので、少し感動に浸ってから戻ることにした。


車に戻り、今度は近くにあるユースホステルに行くことにした。サンタモニカは方位が非常に分かり辛く、道も分かりにくかったので、助手席のNは大変だったと思う。てか、こういう入り組んだところはいつもNがナビしてくれたと思う。運転手はナビにしたがえばいいだけだから、簡単だけれども、ナビのほうは相当いそがしかったと思う。感謝だ。


なんとかユースホステルに着いたけども、駐車場がなかったので、Nだけをおろして僕は車を停めれるところを探した。何分かして、僕のいるところへNは戻ってきたけども、どうやらユースの対応が悪かったらしい。

気を取り直して、ダウンタウンへ向う。

またまたインターステイトに乗り込み、殺人級に混む道を100キロくらいで突き進んだ。本当に事故らなくてよかった。

今日泊まるモーテルは、地球の歩き方に乗っていたところなので、だいたい位置は把握できた。ダウンタウンの中心に近いところにあり、料金も50ドルくらいで比較的安かった。


とりあえずチェックインを済ませ、荷物を置くと、僕たちは疲れながらも、恒例となったショットグラス獲得のために足を動かす。

モーテルの受付でハードロックカフェの位置を教えてもらい、いざ出発。教えてもらったとおり、ハードロックカフェの場所は遠く時間がかかったけども、道に番号がふられていて、自分が今どこにいるかを把握できたため、迷わずにつくことができた。


しかし、着いたはいいが、今度は駐車場に困った。道の端に設けられている駐車ゾーンが空いていたので停めると、近くにいた人にここはダメだっていわれるし、困った。


ハードロックカフェに入ると、きれいなおねぇさんがいた。すっげー美人だった。

アメリカの映画俳優は美人だけども、普段、日本にいて見るアメリカ人で美人だと思った人はいなかったから、僕はアメリカに来ても、美人がいないのか?と思いながら旅していたけど、美人がいないわけではなかった。というより、美人はいっぱいいた。

ま、それはいいとして、ショットグラスを購入。いつも通り食事はせずにモーテルへ戻る。


でも、夕食はまだだったので、帰り道にあった吉野家で、がっつり食べた。

アメリカに来ると、米と風呂が恋しくなったけども、この日の吉野家には満足した。

また、ガソリンも入れた。ZIPコードが分からなかったため、併設されているコンビニに、聞きに行ったら、そこで、変な兄ちゃんに絡まれた。

10ドル以上じゃないと入れたらだめとか、お前はどこから来たとか何しに来たとか。今日で旅は8日目で、モーテルでの交渉などはある程度できるようになったけれども、やはり普通の会話は難しかった。。。変な兄ちゃんだったけど、もっと話したかったな。


帰りにコンビニでビールを買い、モーテルに戻ってから2人で飲んだ。

この時のバドワイザーは、忘れられない。うますぎた。

ビールの缶は、普通の大きさではなく、750~900ミリリットルくらい入ってそうな、アメリカらしい大きな缶だった。


また、モーテルでは、これまで集めた各都市のハードロックカフェのショットグラスを地図上と同じように並べて、これまでの旅を思い出した。ショットグラスを見ると、これまで経験した苦労や、その土地の景色などが頭の中に浮かんだ。


ショットグラス


右奥から、ニューヨーク、ワシントン、ニューオリンズ、ヒューストン、サンアントニオ、フェニックス、ロサンゼルス

(地図は前回の記事を参照してください。)

そして、僕たちは死んだように寝た。




なんか、せっかくのところなのに、眠さのあまり適当に書いてしまった。あ~、この日記しんどい。1日にあった出来事を細かく思い出すってしんどい。

こんな、変てこりんな文章をここまで読んでくれた人は、本当にありがとう。



今日で横断。まだまだ、旅は続きますがこれでアメリカ大陸横断日記は終了します。

気が向けば、書くかもしれないですが。。。